組織に属してゐる人であれば、必ず感じるだらうことが、この「何回説明しても伝わらない」といふ体験である。ましてや私の職業は教師といふことなのでなほさらである。
認知科学の発達により、「理解」とはどういふことなのかはおほよそ明らかになつてゐる。
今から40年ほど前に、ある論文の中で認知心理学やスキーマ(理解の枠組み)といふ言葉を読んで、なるほど「理解」とは、外部からの刺戟とそれについての反応といふ表面的な過程の奥に、前提となることがあるのだ。そして、そのスキーマを見据えて学習といふ行為を成立させることが必要だといふことを知つた。
だから、それ以来私の教育観の中から「話せば伝はる」といふ図式は一掃されてゐる。つまり「(一度)話しても伝はらない。だから(何度でも、伝はるまで)話す」といふ信条を持つに至つた。周囲には「話してゐるんですけどね。やらないのは生徒が問題なんです」といふ人がゐるが、内心「それは生徒に伝はつてゐないといふことだらう。生徒の問題といふより伝へる側の問題ではないか」と思ひながら聞いてゐる。教育は効果であつて、それが表れてゐないといふことは教育してゐないといふことだとまで思つてゐる。もちろん、教育は効果だと言つたところで、その効果はすぐに現れるものでもなく、何年後かあるいは何十年後かに現はれるといふこともあるだらう。したがつて、短期的な評価は禁物であり、伝へ続けるといふことが大切だとも思つてゐる。現実に負けさうになるときも多いが、幸ひこれまでの経験が以上の信念を裏付けてくれてゐるので、諦めることなく続けられてゐる。
さて、さういふ認知心理学の知見をアップデートしてくれたのが本書であつた。一言で言へば、それは「理解できないとは、その人が持つてゐる自分なりの理解の仕方を壊さうと思はず、信念バイアスと言はれるスキーマを持つてゐるからだ」といふことである。
理解を阻害するのは、信念バイアスといふスキーマである。
悲劇的な例としては、今年の1月2日に起きた羽田空港でのパイロットと管制官とのやり取りである。あの場面で「ナンバー1」といふ言葉の理解の枠組みが信念バイアスとなつて、相手の「伝へようとしたこと」と自分の「理解したこと」との間に差異があることに気付けなくしたといふことである。管制官は滑走路の手前で待機する離陸機のうち最初の機体であるといふ意味でそれを用ゐ、パイロットは滑走路に着陸機も含め最初に入つていいと意味でそれを捉へてゐた。同じ「ナンバー1」でも文脈が異なれば、その意味するところは違つてゐる。当たり前のことであるが、あの時両者ともにそのことに気付かず事故は起きてしまつた。
かういふことは日常的に起きてゐる。なるほどと思ふ。
しかし、日常の場合、航空機事故のやうな誰が見ても「大問題」だと分かることは起きずに、それぞれがストレスを感じてやり過ごしてしまふレベルである。さうであれば、それぞれの「信念バイアス」がますます強くなり、「あいつは変なやつだ」といふ評価を深めることになつてしまふ。さらなる悲劇は、当事者のうちのどちらかが自分の信念バイアスに気付き、改善を試みるが、もう一方の当事者はそれに気付かず、更なる信念バイアスをぶつけてくる場合である。やる気がある人とやる気のない人との誠実格差が、一方のストレスを加算していく事態を招く。
さういふ時はどうすればいいのか。冷静になつてメタ認知を使ひ、両者の誠実格差を見つめることであらう。そして、相手の信念バイアスを分析し、一つ一つそれを解きほぐしていくことである。かなり精神的なストレスを伴ふかもしれないが、怒りをぶつけても問題は解決はしないといふ現実を直視して、相手の信念バイアスを微塵にする以外に方法はない。
著者は国際認知科学会といふ学会の運営委員をされてゐるやうだが、そこでの会議はたいへんに気持ちの良いものだと言ふ。認知科学の研究者は、上に書いたやうな「理解とは何か」といふことを熟知してゐるから、議論がたいへん円滑に行はれるといふことだ。これはきはめて重要な証言である。つまり、認知の仕方について知的に理解をすれば、コミュニケーションは円滑になり得るといふことである。となれば、現状でコミュニケーションがうまく行つてゐなければ、まづは知的に、コミュニケーションとは何か、各自が持つてゐるスキーマとは何か、各自が抱きがちな信念バイアスとは何かを整理すればよいといふことになる。その上で時間をかければ物事は解決に向かつていく。
そして、それでも難しい場合には仲介者が、「あなたには〇〇といふ信念バイアスがありますから、それを解きほぐしてください」と言へばよい。
本書は、たいへん読みやすい。すらすらと読めてしまふ。したがつて、たぶん記憶からすぐに消えてしまふだらう。そんな時はもう一度読み直す必要があるやうに思ふ。その労を取れるかどうか。それが今後の私の職業生活の良否を決めるのではないかと思つてゐる。