言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

携帯を持たずに寝ねかつ冬の夜

2023年12月31日 06時49分46秒 | 日記
 今年を振り返つてみれば、まづは8月に母が94歳で亡くなつたことだらう。最後の十年ぐらゐは寝てすごすことが多かつたし、認知症も進んでゐた。何よりコロナの感染を防ぐためといふことで、施設では玄関先で5分ほどの会話しか許されなかつた。いつも「元気でね。また来るからね」と言ふばかりで、会話といふほどのものでもなく別れる。3時間かけて行き、3時間かけて帰る。それを繰り返した数年であつた。施設には感謝してゐる。それ以前は、実家は伊豆にあるので地震があれば心配し、床下に浸水する地域なので豪雨があれば心配してゐた。父は週に2日のごみ捨てがだんだんしんどくなつて来たと行つてゐたが、それを聞いて施設に入つてはどうかと話し、両親共に施設に入つてもらふことになつた。「飯がまずい」とこぼしてゐたが、その父も3年前に亡くなり、しばらく母1人で施設で過ごしてゐた。
 この5年ほどは携帯電話の着信があると緊張してゐた。何かあつたのではないかとふと思つてしまふからだつた。しかし、今はもうさういふ心配はいらなくなつた。理屈の上ではさういふことなのだが、不思議なことに電話で父や母と話してゐた頃のことを思ひ出すことがある。食道楽の我が家だから、「何を食べたい?」「あれを買つて来てくれ」といふ程度の会話であるが、耳の底には今も残つてゐる。

 今年もドラマをよく見た。朝ドラは見なかつた。大河は見たが、総集編を観たいとまでは思はなかつた。淀を演じた北川景子がすばらしかつた。往年の岩下志麻のやうで、化けたなと思つた。秀頼側からみた戦国時代の終焉をよく印象付けてくれた。夜ドラ「ミワさんなりすます」は面白かつた。松本穂香、堤真一が良かつた。「教場0」は楽しみに観てゐた。北村匠海のシーンはあまりに辛く救ひのない展開であるが、ここまでの悲劇を制作した英断を多としたい。主題歌「心得」は今も耳に残つてゐる。
 今年のドラマではないが、家内から「30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい」と「きのう何食べた?」を勧められて、数話見た。恋愛といふものを男女の話にするとどうしても痴話になりがちだが、純愛といふものを描くには同性であつた方が描きやすいといふことなのだらう。とても温かい話であつた。時を同じくして、知己の方から河合隼雄の『大人の友情』を勧められ読んでみた。漱石の『こころ』について触れられてゐたからである。先生とKとの間において、Kがお嬢さんを愛してしまつたのは、Kが先生に「同一視」することで、先生が愛する存在を愛してしまつたと河合は指摘してゐた。なるほどである。『こころ』においてお嬢さんといふ存在には役割はあるが人格性が描かれてゐないのも、Kにとつて(先生にとつてもかもしれない)お嬢さんが大切なのは先生との関係においてだからといふのも納得である。河合隼雄を少しづつ読み続けてゐる。
 読書については、今年もあまり読めなかつた。白石一文は欠かせない作家であるし、読み続けていくつもりである。年末に読んだ須藤古都離『ゴリラ裁判の日』も面白かつた。
 読書ではないが、福田恆存について書いておく。今年の2月の入学試験の国語に福田の『演劇入門』からの出題があつた。中公文庫に最近入つたばかりなので、それを読まれた京大の先生が選ばれたのだらうが、さすが京大だと思つた。このブログでもそれについて書いたので詳しくはそれを参照してほしいが、それぞれの大学が国語を入試教科にするのであれば、どんな文章から出題するのかといふことが問はれるのだといふことを改めて考へた。京都大学が2023年に果たした快挙である。
 最後に年末に同じく中公文庫に山崎正和『柔らかい個人主義の誕生』が改版されて刊行された。新たに2編加へてページ数も増えた。変化としては、仮名遣ひを新かなにしてゐること。そして解説者が代はつたといふこと。
 編集付記に「本文の仮名遣いは新仮名遣いに統一し、明らかな誤植と考えられる箇所は訂正しました」と書かれてゐる。歴史的仮名遣ひを「誤植」とは言へまいが、「訂正したい」といふ意識がどこかにあるやうな書き方である。仮名遣ひと誤植とを同一文に書くといふことに違和感があつた。山崎正和は消費社会の美学を書くのに歴史的仮名遣ひを用ゐてゐたのである。存命ならこれを許したかどうか。晩年の山崎自身も仮名遣ひには拘つてはゐなかつたやうだが、山崎正和論を書くときの註として記しておきたい。
 解説者の福嶋亮太の文章がいい。山崎のポジティブな(理想主義的な)消費社会論にたいして「おおむね氏のヴィジョンの逆方向へと進んでしまったように思える」と記してゐる。山崎が生きてゐれば、是非とも対談してほしい執筆者である。解説とはかういふものであるべきだと感じた。

 私の生活において、最も楽しい時間とは知的に刺戟を受ける時間である。授業でさういふ時間はあまりないが、友人に会つた時やさういふ本に出会つた時、あるいは家族との会話などは至福の時間となる。今年は教育方法学会に初めて参加する機会に恵まれた。研究者たちの発表は玉石混交であつたが、時に真剣な意見交換や議論を目にすると豊かな気持ちになれた。
 さういふ意味で今年も学恩に感謝の1年であつた。

 皆様、佳いお年をお迎へください。年始のご挨拶は失礼いたします。
 
 
 
 
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メルヴィル『詐欺師ー假面芝居の物語ー』留守晴夫先生の新訳出来

2023年12月27日 11時21分51秒 | 評論・評伝
 
 留守先生の新訳によるメルヴィルの『詐欺師』が出来した。アメリカ文学は、私にとつてあまり馴染みのないものであるが、留守先生の新訳が出るたびに、それらを通じて知るやうになつてきた。これまでは同じくメルヴィルの『ビリー・バッド』『バートルビー/ベニト・セレノ』、ロバート・ベン・ウォーレンの『南北戦争の遺産』である。
 そして、今回『モービー・ディック(白鯨)』に次ぐ傑作と言はれる『詐欺師ー假面芝居の物語ー』である。
 まづは、その訳者解説を読んだ。しばらく体調を崩されてゐた留守先生が書かれた現代批評として、是非ともそれは読まねばならないもののやうに思へたからである。
 もちろんそれは、『詐欺師』そのものの解説であるが、メルヴィルの作品の本質の解明であり、当時と現代アメリカの批評であり、それはそのまま近代から現代へと続く日本と日本人の思考傾向(精神などと呼べるものではない)へのきつぱりとした批判である、さうに違ひないと予想されたからだ。
 そして、読んでみた。予想通りであつた。決してすぐに腑に落ちるといふものではない。それは納得ができないといふ意味ではなく、久しぶりの留守先生の持続した緊張を形にした文体に脳が即応しないといふ身体性の問題もある。がしかしより根本的な問題としては、さうした文体を直ちには受け付けることができないほどに私の意識も思考(これも精神などと呼べるものではない)もユルユルになつてゐたといふことである。そしてその驚きと不甲斐なさとに怯んでしまつたからである。だから、昨日と今日の午前中、二日間を要する手続きが必要となつてしまつた。

 したがつて、ここでは全体の感想を記せるほどの力量を持ち合はせてゐない私の感想を一つ書いてお許しいただく。
 北村透谷研究会に属してゐる私としては(随分怠け者ではあるが)、透谷が強く影響を受けたエマーソンを、メルヴィルが激しく否定してゐることについてはたいへん面白く読んだ。超絶主義と呼ばれるエマーソンの思考は、言つてみれば「固い自我による個人主義」であつて、留守先生の解説によれば、Self-Reliane(自恃)に基づく人間観である。そして、その自恃は絶対者たる神によるものだから、「固い自我」にならざるを得ない。善なる主体の誕生である。神を信じるエマーソンは当然ながら性善説に立たざるを得ない。しかも、すべての人が完全なる善の主体なのだから、主体者たる個人同志の関係性は不要になる。若き透谷がエマーソンのさうした考への影響下にあつたのだから、26歳で自殺したのは理の当然かもしれない。現実の不善を前にして絶望してしまつたのだから。
 余談になるが、ある日の透谷研究会で会長を務めた先生が、「この歳になつて、26歳で死んだ青年の思想をいつまでも面白く思へるはずがない」と仰つたことがあつた。もちろんそれは愛憎含めての声であつて、私には真実に思へた。同じく重鎮の先生方がたくさんゐらしたが、誰もその発言を咎めることはなかつた(黙殺したとも言へるが)。余談を重ねれば、この透谷研究会といふ学会はじつに自由な会であつて、この時とは別の時に、当時の会長は「透谷研究会は会員が少なくなつて無くなつたとしても、透谷は残る。心配などしてゐない」と大笑しながら語つてゐた。懇親会での戯言と言へばその通りであるが、私はさういふこの会が好きである。会員のすべてが26歳以上である。透谷を愛する視線は、透谷に心酔するといふ体ではない。エマーソンに心酔してエマーソンに絡めとられた透谷を愛しく思ふ、そんな雰囲気である。

 閑話休題。
 エマーソンに対してメルヴィルは、同情と皮肉を込めて「神よ助け給へ」と記してゐると言ふ。メルヴィルにとつてはエマーソンの思想は嗤ふべきものでしかなかつたのである。メルヴィルの善悪二元論的人間観からすれば、人間の本性を善だけだと信じる人間は信頼に値しないといふことであらう。人間は悪をもなし得る存在からこそ、「他に助けを求める」のであり、愛を必要とするのである。
 留守先生はかう記してゐる。
「人間が『他に助けを求める』聲は「眞實のものであり、不可避のものであり、それに對する應答は不可缺なものだ」と、卽ち、運命の不合理に苦しみ神の應答を求めたヨブの訴への如きいつの世にも眞實なものたらざるを得ないと、メルヴィルが信じてゐたといふ事に他ならない」

 この小説は、詐欺師が八つの仮面を被つて「摩訶不思議」な船客達との間に交はされる無数の会話によつて構成されてゐる。
 本書がどれだけ読まれるか。それが現代日本の読書人に対する自己評価となるだらう。
 留守先生による挑戦と挑発の翻訳である。この時代にメルヴィルが語るとしたら、かういふ文体になるといふ訳し方で出版された。

 
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『ゴリラ裁判の日』を読む

2023年12月23日 07時45分39秒 | 評論・評伝
 
 このブログの長年の読者であれば(そんな奇特な人はゐるんか?)、私の読書傾向が分かるだらうから、このタイトルを見て「どういふこと?」と違和感を抱くのではないか。確かに私でもこの種の本を自ら選んだりはしない。そもそもこれは書店で言ふとどの棚に置いてあるのかさへ見当がつかない。中身を読んだ今なら、これは小説であるから「現代文学」の棚に置かれてゐることは分かる。
 さういふ自分では決して手にしない本を読んでみたのである。それは若き友人からのお届け物だからである。講談社に就職したその若き友人がどうやら担当してゐる作家らしい。須藤古都離さんといふ作家で、この作品で第64回メフィスト賞を受賞したらしい。情けないことに、私にはそのメフィスト賞といふ文学賞も知らなかつた。なんと64回も続いてゐるといふのにである。

 メフィスト賞=メフィスト賞は、株式会社講談社が発行する文芸雑誌『メフィスト』から生まれた公募文学新人賞である。 
 賞金の代はりに、受賞作は出版されるのでその印税が作者に渡されるといふ。
 
 いづれもウィキぺディアからの引用である。間違つてゐたらごめんなさい。

 それで読んでみた。ローズといふメスのゴリラが主人公。アフリカのカメルーン生まれ(南米大陸をアフリカ大陸にくつつけた時に、ブラジルの尖つた先が当たるところがカメルーン)の彼女は、母ゴリラと共にアメリカ式の手話を使ひこなすことができる。それが契機となつてアメリカに連れて来られることになつた。アメリカの動物園にうまく適応できてそこのボスと結ばれたのだが、ある日動物園に見学に来てゐた親子二人に悲劇が訪れる。その幼い子供がゴリラのエリアに落ちてしまつたのである。ボスはその子を引きずり手元に置いたまま。母親は驚き声を張り上げる。それを聞いたゴリラは興奮して何をしでかすか分からない。慌てた動物園側は、咄嗟に実弾でそのボスを撃ち殺してしまふ。麻酔銃では効き目がないとの判断である。ボスは死んだ。妻となつたローズは、動物園を相手に訴訟を起こす。一度目は敗れる。そして、もう一度その時を待つ。ここからは読んでのお楽しみだ。
 最初は慣れなかつたので、ペースは遅かつたが、アメリカに来る直前の辺りの展開から非常に面白く感じた。どうしても仕事が立て込んでゐたので、毎日読むといふ訳にはいかなかつたが、寝る前にはどうしても続きが読みたくなり眠気と戦ひながら読み進めた。

 果たしてゴリラが手話を解するのかどうか。それは私には分からない。しかし、『山月記』の李徴が虎になつたことに違和感がないやうに、ゴリラが人間になること自体が問題になるわけではない。そこに現実味があるかないかが問題である。人間が虎になるのはメタファーであるが、ゴリラが人間になるのもメタファーであるかと言ふと今は分からない。むしろ、さういふ比較ではなく、ゴリラのやうに蔑んでゐる人間があなたにはゐませんかといふ問ひかけではないかと思ふと、極めて深く頷けるのである。その上で、弁護士が語る「公平な社会を築くために人間が努力している間、ゴリラは何をしていた? 少しでも手伝ってくれたか? 君みたいなよそ者に、司法制度を侮辱する資格があるのか? 人間が正義を独占しているんじゃない、人間が正義を作り上げてきたんだよ。」といふ言葉を読むと、現代社会への理解は一層深まるやうな気がした。確かにポリティカルコレクトネスによつて多様性は認められ、差別は解消されたのかもしれない。しかし、これまでの社会を築き上げてきたのは、差別した側の存在である。それは決して肯定されるものだけではないのだが、そのためにも流されて来た血はある訳で、そこに光を当てる言葉でもあつた。
 
 文章はうまい。私にはたいへん読みやすかつた。
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哀悼 平岡英信先生

2023年12月22日 14時40分26秒 | 評論・評伝
 12月16日(土)平岡英信先生がご逝去された。94歳。何度も死を乗り越えて来られたが、「私に使命があるなら神さんが生かしてくれる」とおつしやつてゐらしたが、遂にこの日が来てしまつた。
 私の母も今年同じく94歳で亡くなつた。父も、そして翻訳家で批評家の松原正先生も同じく皆昭和4年生まれである。
 平岡先生とのご縁は、福田恆存とのつながりである。『私の幸福論』の文庫版の後書に書かれてゐるが、平岡先生が福田恆存を招き、清風学園の教職員を前に語つた講演が下敷きになつてゐる。このことが福田恆存と平岡先生との最初のお付き合ひかどうかは分からないが、大阪に来られる度に、平岡先生は福田恆存との交流を深められてゐた。その後現代演劇協会の理事にもなられ、福田恆存の御子息である逸さんが大阪に来られる時も、お会ひになつてゐた。私も一度だけ、三人でお食事を共にしたことがある。福田恆存の愛読者である私をどうにか逸さんに引き合はせようとしてくださつてゐたやうであつた。食事の最中に、平岡先生は長い間中座された。トイレに行くといふことであつたが、それにしては長い時間だつた。私と逸さん二人きりにしてじつくりと話をさせてあげようといふことなのであらう。二人で食事をしたのであるが、ただただ緊張してうまく話ができなかつた。しかし、平岡先生の温かいご配慮がありがたかつた。
 話は前後するが、その福田恆存の読者である私は以前宮崎県にゐた。その時に書いた本を平岡先生にお送りしたところ、その本を同じく福田恆存の愛読者である清風学園の教員のところに回ることになつた。そしてしばらく経つて、その先生が主催してゐた大阪での松原正講演会に私が出かけた時に、受付で声をかけてくださつたことがきつかけで、清風学園に勤めることになつたのである。
 それから九年間お世話になつた。昭和4年生まれの平岡先生は先ほど述べたやうに父と同じ年である。先生自身は私の父とは人柄も知識も異なる大教養人である。しかし、私自身の性格なのか間合ひの取り方に似てしまふところがあつて、萎縮したまま距離感を抱いてゐた。職員朝礼や生徒朝礼、そして式典の度のご挨拶や時々個人的にお話しする機会に出てくる話には、心がほどけて行くやうな温かみがあつた。私にはそれぐらゐの距離が丁度よかつた。
 壇上で話される先生は時に厳しい顔をされる時もあつたが、笑顔が記憶に残つてゐる。別れる時には、合掌してこちらの背中を送つてくださる。スーツに白いマフラーをしてゐるその姿がいま目に浮かんで来た。
 私は、11年前家庭の都合で清風学園を辞めたが、その後も教へ子の卒業式には招いていただき、わざわざ挨拶の中で「今日は、名古屋からも先生が来てくださつた」(じつは名古屋ではなく蒲郡なのですが)と仰つてくださり、温かい歓迎をその折にも感じた。
 今も忘れられないのは、「清風は祈りの学校や。いい加減なことをするな」と私たちを叱つてくださつた時のことである。入学試験が終はり、合格者の名簿の扱ひを事務的に行はうとしたときの職員会議での一幕である。私はそのお言葉にはつとした。英信先生にはどうしても省いてはならない儀式があつたのだが、それをしてゐなかつたのである。その後、そのことについて仲間内で話す機会があつたが、理解を示す人も示さない人もゐた。私にはそれもまた衝撃であつた。毎朝生徒3,000人が般若心経をあげる学校である。その祈りで作り上げた学校に入学する生徒に対して、迎へる側がすべきお勤めとしてどうしても譲れないことがあると思はれる平岡先生の思ひが私には当然のものに思へた。
 インドのチベット密教の学問寺ギュメ寺にもご一緒した。チベットの高僧に子供のやうに率直に質問し、それについて更に質問を重ねる姿も私には仏教を生活のなかで生かしていかうとされる姿に見えた。
 平岡先生は戦後の復興を教育によつて果たさうとされる方であつた。即ち、学校を日本の復興のために必要だと思つて作られた。大阪大学の理学部数学科を出られて、研究者への道ももしかしたらあつたかもしれない。しかし、父親が創立して間もない清風学園には、先生のお力がどうしても必要だつたのだらう。当時の状況は話に聞くばかりだが、現在のやうな名門校ではなかつた。黙々と創立者である父親の思ひを実現すべく努力されてゐた。ここら辺りのことを、こちらもすでに亡くなられた秘書の西尾さんから伺つたことがあるが、涙ながらに当時の英信先生のことを語つてくださつた。
 大阪に平岡あり。さまざまな場所でその声を聞いて来た。それら一つ一つを挙げればきりがないが、さういふ声は先生の生き方から滲み出てきた人柄を感じたゆゑのものである。
 もう少し長生きをしていただきたかつたとの思ひはあるが、それは後に残された者たちが果たすべき責任である。
 平岡英信先生 ほんたうにありがたうございました。心より感謝申し上げます。合掌

 
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時事評論石川 2023年12月20日(第836)号

2023年12月20日 20時25分10秒 | 評論・評伝
今号の紹介です。
 
 年末恒例の吉田好克先生の「腹立ち三大噺」。今回は岸田、岸田、岸田である。岸田首相への批判、怒り、憤りである。結論は、女性宰相を願ふとのことで、高市早苗さんを推してゐるのだらうが、私も将来的には女性宰相が良いと思ふが、これほど劣化した政治の中で、嫉妬と劣情とが渦巻く男性政治家に女性宰相を支へようとする気概のある人がゐるかどうかは不安である。残念が駄が、岸田の後がよくなる保証は全くない中では、この人をうまく支援した方が良いのではないかと思ふ。その意味では、国民の志向や心意気が問はれてゐるのである。こんな奴に任せてられるかとの本音を隠し持ちながら、「先生、いかがですか、こんな風にされては」と言へる保守支援者が多く出て来るかどうかが勝負どころである。
 私は、まづはこの方に教育について直言したい。さて、その詳細は……

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            ●   
令和五年「腹立ち三題噺」岸田、岸田、岸田……
   コラムニスト 吉田好克
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コラム 北潮(少しのことにも、先達はあらまほしき事なり)
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皇位継承問題
「女系天皇」を認めてはならない理由
   麗澤大学国際問題研究センター客員教授 勝岡寛次
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教育隨想  万博を成功に導くために必要なこと(勝)
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岸田政権と自民党の危機
   ポスト岸田が誰になろうと
   政治評論家  伊藤達美
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コラム 眼光
   いかがわしき「被害」(慶)
        
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  全ては「子孫繁栄」のため(紫)
  「映像戦」で優位に立つ熊とハマス(石壁)
  世界遺産にケチをつける人たち(男性)
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