二十世紀文化の散歩道 価格:¥ 8,971(税込) 発売日:1990-05 |
そこで今朝の産経新聞のコラム「断層」で民俗学者の大月隆寛氏が、保守だ革新だ、与党だ野党だといふ二項対立前提の図式は「都市伝説」だと書かれてゐた。うん、かういふ話はよく聞く話である。しかし、案外そちらの方が都市伝説なのではないかと私は感じてゐます。
古くは、山崎正和氏の友人であるダニエル・ベル氏だつたか、「イデオロギーの終焉」なることが言はれた。八十年代のことで、私の大学時代のことでした。そしてソ連が崩壊していよいよその状況認識は正しかつたといふことになりました。しかし、それは本当でせうかといふ疑問がずつと私にはあつて、今もその疑問は消えてゐない。いや、今こそイデオロギーが必要なのではないかとさへ考へてゐます。
消費社会の美学だとか、小衆の時代、分衆の誕生、価値の相対化など、八十年代は相対主義がいろいろな名称で言ひ換へられて私たちの頭の中に浸透してきた。それら一切がイデオロギーであることは当然のことであるのに、それぞれの感性を大事にせよといふことの表面的理解にとどまり、単一のイデオロギーを押しつけられてゐないといふことが即イデオロギーの終焉を意味するといふ短絡思考にすぎなかつたのではないでせうか。その結果、最悪の単一イデオロギー=相対主義が蔓延してしまつたといふのが、私のこの三十年の我が国の精神状況の理解です。
相対主義の弊害については、もはや多言を要しないでせう。さてさうであれば、今こそイデオロギーをといふのが、当然の理であると思ふのです。これから行はれる選挙でも、じつはそのことを分かつてゐる人こそが大事な人物なのです。さしあたり大まかに言へば、イデオロギー政党である、共産党と公明党が(そして幸福実現党も!)「重要」でせう。しかし、ほんたうは、さういふ水平思考のイデオロギー政党ではなく、過去と未来と、物と心とを同時に見るやうだ垂直思考のイデオロギーを持つた政治家が求められてゐると思ひます。
誰とは書きませんが、この夏は、少し、政治家の言葉に注目してみようと思つてゐます。