言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

時事評論――最新號

2005年11月30日 21時56分36秒 | 告知
時事評論    11月20日號

    目     次
「最後の人事」で何を狙つたのか    花岡信昭
教育隨想                  勝
靖國參拜は正正堂堂と         菊
なぜもつと考へないか          柴田裕三
新FRB議長の課題            佐中明雄
不變執拗な朝日の論評         蝶
無思想外交にはハトもタカもない   前田嘉則


 以上の内容に御關心を御持ちになられた方には、是非とも御購讀を御願ひしたい。



  發行所 北潮社
  FAX 076-231-7009
  定價 1部200圓 年 2000圓
  郵便振替口座 13160-17620841





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人權問題を保守は語れ

2005年11月29日 15時11分41秒 | 日記・エッセイ・コラム
 11月26日から28日まで、宮崎県で行はれてゐた「全國人權・同和教育研究大會」に參加してきた。57囘目を迎へる今囘も1萬名を輕く越す規模の大會であつた。
 人權も、同和も、共に保守派は觸れたがらない話題であるが、これからは保守すべきものとは何かを明らかにしてゆく過程で、どうしても觸れていかなければならない問題だらう。惡しき因習はきちんと峻別すべきである。
 とは言へ、共産黨や舊社會黨の支配するやうな言はゆる「人權屋」の主張には斷乎批判すべきであることに違ひはない。その意味で、今囘の大會において、どの程度左翼的な言説が跋扈してゐるのか内心樂しみにしながら參加した。
 結論的に言へば、登壇する人の意識には、從來の左翼的なものがあるものの、現場においては隨分薄められてきてゐるといふのが印象である。そして、さうであるからこそ、人權問題は厄介なところにきてゐるといふ思ひも持つたのである。
 登壇した人の中で、一番ひどかつたのが、ルポライターの鎌田慧氏。この人は十年一日のやうに左翼的言説を一時間話してゐた。それもテーマであつた「人それぞれの人權」にはほとんど觸れず、靖國神社とその隣の遊就館に行つた話に終始し、戰爭反對を言ひ募るのみ。おまけに約束の80分を勘違ひして60分で止めてしまひ「少し時間をオーバーしました」などといふトンチンカンなことを言つて早早に引き上げてしまつた。これには主催者も困つてゐたやうだが、會場のしらけた雰圍氣を無意識に悟つたのであらうか。私はをかしくて笑つてしまつた。
 次にひどかつたのが、筑波大學の大學院教授の福田弘氏。人權と言ふ言葉が濫用されてゐることに懸念があると表明したのは良かつたが、「差別は人間が作り出したものだから、人間の力で解決できる」といふ性善説的なあまりに性善説的な主張には、唖然としてしまつた。差別を、戰爭や犯罪やエイズや麻藥や離婚や火事や、その他一切の人爲に當てはめてみて、それだけでは何も解決したことにならないといふことに氣附かない能天氣さに驚いてしまつた。ついでながら、會場から「私の話には舌足らずなところがある」といふことばの中にある身體表現に野次が飛ぶと、反省しきりだつたのが印象的だつた。いかにも良心家といふ感じで人は良いのだけれど、差別といふものが、尊敬といふ精神作用の裏面に存在してしまふといふ兩犧牲に氣附かないのは、大學の先生としては本質的に「舌足らず」だと思つた。ペスタロッチの專門家のやうだが、性善説的な人間觀からは、惡は見えないし、じつは善も見えてゐないのである。
 まともだつた人は、なんと文部科學省の御役人だつた。今泉柔剛氏。いかにもエリート街道まつしぐらといふ30代と覚しき青年である。行政説明にやつてきただけだが、「人權教育は同和地區や民族差別の問題がある地域だけで行はれるものではなく、四萬に及ぶすべての學校で行はれるべきものだ。そして子供たちをあらゆる身體的精神的な暴力から守らなければならない」と溌剌と言つてのけたのには、胸を打たれた。「あらゆる身體的精神的な暴力」とはいつたい何を意味するのかといふことをおそらく考へたこともなく自明のこととして言へる青年らしさは、重い雰圍氣のこの大會において、清涼感をもたらしてくれた。
 このブログの讀者にこれ以上書いてもあまり關心をもたれないと思ふので、このあたりでやめようと思ふが、最後にもう一度、保守派こそ人權を主張する時代だ。ただし、名稱は「人格人權問題」とすべきである。


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言葉の救はれ――宿命の國語39

2005年11月24日 22時08分21秒 | 国語問題
 丸谷氏のやうに、憲法を題材にして文章を語るといふ意識は、何とも暗い。達意といふことを示すのに、日本国憲法をもつて論じるといふことには、何か別の意図があるのではと思ふのである。そもそも、憲法を文章の見本とするなどといふのがいただけない仕儀である。
 ちなみに言へば、福田恆存がアメリカ人に「独立宣言」を読ませたら、五十人中四十九人が「ヒッピーか共産主義の嘘言だらう」と言ひ、理念に贊成なら署名をと言つたら一人しかしなかつたと言ふ(「問ひ質したき事ども」)。丸谷氏が言ふ「達意」の本家のアメリカの文章をして、かういふ事態である。
 つまり、憲法で大事なことは達意であるかどうかよりも、それを通じて何を書いてゐるかである。福田恆存は、丸谷氏にはつきり言つてゐる。

 丸谷氏は新憲法にふれ、それを達意の文章と言ひ、その可否を論じない。が、憲法を論じて、それを言はずに濟ませると思つたら大間違ひである、どこかでそれに答へて貰ひたい。
                     福田恆存「問ひ質したき事ども」

 しかし、丸谷氏は答へてゐない。
 『文章読本』を書いた當時、丸谷氏の念頭にあつた「文章を云々する柄ではない」とされるのは、同じく『文章讀本』(昭和三十四年)を書いた三島由紀夫であり、「當用憲法論」(昭和四十年)を書いた福田恆存である。
 三島は、なかでかう記してゐる。
 
 皆さんは終戰後のマッカーサー憲法の直譯である、あの不思議な英語の直譯の憲法を覺えておいでになると思ひます。それはなるほど日本語の口語文みたいなもので綴られてをりましたが、實に奇怪な、醜惡な文章であり、これが日本の憲法になつたといふところに、占領の悲哀を感じた人は少くなかつたはずです。もし明治時代に日本が占領されてゐたとしたら、同じ飜譯であつても、もつと流麗な美文で綴られたことでありませう。
            三島由紀夫「第二章 文章のさまざま」

 憲法が必ずしも美文で書かれる必要はないと思ふが、ここで三島は、日本国憲法にたいして「覺えておいでになると思ひます」「をりました」と過去形で表現してゐるところは、皮肉が利いてゐる。彼の意識のなかでは、すでに過去のものだつたといふことだらう。
 達意かどうかなどといふことは、この際どうでも良いのである。たとへは不謹愼だらうが、犯罪者の反抗聲明について「達意の文章かどうか」を議論しても致し方ないのと同じである。この場合、文章の善し惡しは問題にならない。
 丸谷氏は、文學觀の違ふ三島由紀夫を貶しめたいのであるし、嫌な思ひ出のある戰前の日本を貶しめたいのである。しかし、さう率直に言へるほどの眞情がないから、大義名分として「法律における文章の善し惡し」を持つてきただけである。知識人の自己欺瞞は、ここに健在である。これを以て「論理的」と自稱するが、讀者は瞞されない。
 現憲法において問題なのは、それが占領者の押付けであつたかどうかといふことだ。


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埴輪の世界――王権と儀礼と

2005年11月23日 12時41分47秒 | 日記・エッセイ・コラム
 松原正氏の御尊父である松原正業の著書に『埴輪』がある。昭和33年12月、東京創元社から刊行されたもので、そのあとがきには「埴輪のもつ魅力を逃れられずにゐる」とある。そして、私もある新聞記事を讀んでその思ひになつた。
 大阪の河南町にある大阪府立近つ飛鳥博物館で「王權と儀禮――埴輪群像の世界」展が行はれてゐる。そのなかに、群馬縣太田市塚廻り4號墳出土の「ひざまづく男」といふ6世紀前半に作られた高さ49センチの埴輪がある。それを見た時、私も心を打たれた。そして、どうしても見たいと思ひ、不便なところであるが、訪ねてみた。
 展示室の狹さによるのだらうが、埴輪はまさに「群像」のやうにまとめて置かれてゐて、それぞれをじつくりと見ることは出來ないが、それでも實物が持つ質感と大きさはやはり素晴しかつた。椅子に坐る男(亡くなつた首長か)の前にひざまづいて置かれてゐたさうだが、その凜凜しくもすがすがしい造形は魅力的である。追慕の念といふものは、わづかに家族内にのみにしか殘つてゐない現代人には示すことのできない、王權の持つ文化的魅力である。身體でそれを表すことは、今の私たちには無理であらう。皇室やそれに使へる侍從、あるいは自衞隊の兵士がわづかにその身體文化を繼承してゐるにすぎないのかもしれない。
 かういふ文化は、6世紀の我が國にあつた。そのことをしみじみと感じた。大和朝廷がいよいよ東國へもその支配を及ぼして來た時代である。かつては、埴輪は東國中心の文化と思はれて來たが、4年前に大阪で發掘された今城塚古墳の出土品から、畿内の大王墓での埴輪祭祀が、各地に影響を與へたと言ふことが明らかになり、王權の成立と埴輪との關係が立證されることになつた。
 寫眞は撮らせてもらへないが、パンフレットを接寫したものをフォトアルバムに掲載しておく。

12月11日まで。
入館料 大人600圓
月曜日休館
電話番號 071-93-8321
チカツアスカ博物館


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石井竜也の勘違ひ

2005年11月22日 23時28分25秒 | 日記・エッセイ・コラム
 福田恆存とは關係ないが、岡本太郎について最近NHKの「私のこだわり人物伝」といふ番組で石井某が言つてゐたことについては、まつたく笑止千萬なので、一言しておきたくなつた。
 岡本太郎の太陽の塔は、昭和45年の作品である。そして、同じやうな時期に制作された「明日の神話」が廣島、長崎に投下された原爆がモチーフだから、太陽の塔も原爆の象徴であると斷言してゐた。石井氏はかう書いてゐる。

「原爆というものの圧倒的な無慈悲さを、そして、にもかかわらず生きのびてきた人間というものの強さを、世界に知らしめたいという欲望があったに違いない」

 まつたく見當違ひとしか言ひやうがない。テレビでは、太陽の塔の形状は、きのこ雲を象徴してゐるとまで言つてゐた。借問するが、それではどうして太陽の塔の内部に「生命の木」を作つたのか。まさか原爆の中に新しい生命が宿つてゐるなどとはいくらなんでも思ふまい。太陽の塔は、土偶である。生命力の象徴である。言つて良ければ、あれは男性器の象徴である。石原愼太郎の『太陽の季節』(昭和30年)は、男性が障子を破つた作品である。そして、太郎は丹下健三の大屋根をぶち拔いたのである。だから「太陽の塔」である。内部に「生命の木」があるのは、まさに生命の經路がそこにあるからである。

 石井某といふ御仁は歌手であるらしいが、どうも藝術家になりたいタレントのやうである。が、思ひつきで言ふのは止めた方が良い。御自分は同じ時代に作つた作品は、すべて同一のモチーフなのらしいが、天才にそれを當てはめるのは止めた方が良い。岡本太郎はもつと爛漫であるし、人生を愉しんでゐる。原爆にだけ關はるやうな野暮ではない。

 因みに、福田恆存は岡本太郎と對談してゐる。「美術手帖」の昭和24年10月號に掲載された。「ぼくはアヴァン・ギャルドのファンのひとりをもつて任じてゐる。岡本太郎の想像するやうに印象派の讚美者ではけつしてない」といふ言葉が印象的である。ルオーの繪が御好きであつた福田恆存の前衞性を探ることも興味深いテーマだ。

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