言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

良心

2007年12月31日 07時52分17秒 | 福田恆存

 今年の世相を表す漢字は「僞」であると言ふ。まあ、さういふものですかね、といふのが率直な感想だが、「僞」なら人間は誕生してからずつと「僞」であるし、時に「善」なることをすると、「僞善者」などと言はれるほど、人人は人の善をそもそも信じてはゐまい。さういふ人人の作り出す世相が「僞」といふのなら、これはずゐぶん實相に近附いた、「眞」に近附いたといふことになるのだらう。氣附くのにずゐぶんとかかりましたね、といふことに過ぎまい。

  不二家、赤福、白い戀人、船場吉兆、ブランド米、これが「僞」の根據であるが、それらはいづれも「食」にかかはること。食は、命に關はる問題だからおおごとだ、と言ふことなのだらうが、結局は私たちの關心事は「食」に盡きるといふことなのだらう。ずゐぶん情けない世相である。一方で、昭和30年代を懷かしむ映畫が流行してゐるといふ事實とあはせて考へると、あの頃の「食の安全」なんてどの程度だつたのかといぶかしむ。世相もずゐぶんいい加減である。

  何のことはない、清水寺の管長が「僞」と書いて今年一年の世相にひどく怒つてゐたが、その方も含めて私たち自身が「僞」であることを忘れて、他人の「僞」に怒るといふ精神が最も「僞」なのではあるまいか。

  福田恆存は、人格の根據に「良心」を置いたが、まつたくその通りだと思ふ。そして、附け加へれば、その良心は他人を批判するために使ふのでなく、個人の人格を崩壞させないために用ゐるべきなのである。孤獨なる人間が、どうして生きてゐられるのか、それは良心が自己を超えたものを意識させるからである。「僞」を言ふなら、まづは自分の「僞」を感じとることから始めなければならない。それなくして、「僞」を批判すれば、空しい思ひが起きるばかりである。福田恆存の生き甲斐も、さういふ自己批判を前提としてゐるからこそ持ち得たのであらう。

  かつて坂口安吾が福田恆存を評して「批評が生き方になつてゐる」と言つたが、批評を生き方にできるほど、自己裁斷が嚴密であるとは、ずゐぶんと恐ろしい存在である。もちろん、完璧といふのではあるまい。しかし、さう言はしめる批評家の誕生を素直に喜びたい。

  福田恆存を、今年も機會ある度に讀み返してきたが、今年は「批評とはどうあるべきか」といふことを考へながら讀んでゐたやうな氣がする。その答へは何なのかを語るのは、別の機會にならうが、「良心」といふことばが重要になると考へてゐる。最晩年、清水幾太郎を批判して使つたのも「良心」といふことばである。「自己を超えたもの」に通じた文學が、もつと必要である。

  今年一年の御愛讀、ありがたうございました。

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言葉の救はれ――宿命の國語229

2007年12月27日 13時12分47秒 | 福田恆存

(承前)

 歌人太田行蔵の金田一京助評の續きである。

「金田一君。君は小泉信三博士に対する反論の中に(昭和二八、四、中央公論)こう書いているではないか。

*心ある学者の声を枯らして叫びつづけ、討議し、論争し、国字問題で産を破った熱心家が幾人あったか知れない。*

 また昭和三十一年一月七日の朝日新聞に君の書いた『現代かなづかいと文筆家』の中に、

*明治から大正、昭和へかけての文部省の数次の新かなづかい案がそれで、幾多の曲折があった後、たまたま終戦という第二の維新の機運にやっと実現したのが今の現代かなづかいである。*

と言っているのとくらべてみたまえ。愕然として今更本当にそうだと驚く国民が明治・大正・昭和と仮名づかい問題で幾多の曲折を経てきているというのは何としても論理の通らぬ話ではないか。愕然として驚いてみせて、アメリカの教育使節団に満足感のごちそうをしようとしたお茶坊主的な学者はあったかもしれないが、われわれ日本国民は決して愕然となどしなかった。これは国字問題で多年骨折ってきた人々をもふくめて、多数の日本人を恥ずかしめるウソだ。われわれは、ああいう機会をとらえて現代かなづかいなるものを公布させた人々のやりくちに愕然としただけだった。」

前囘からお讀みいただいてゐれば明らかだが、改めて言へば、日本の後進性の象徴である「歴史的假名遣ひ」などを使つてゐるから戰爭といふ大惡を犯したのだといふアメリカの論理を國民は信じ込まされ、なるほどそれでは國語を歐米言語に匹敵するやうな先進的なものに改革する必要があると初めて氣附き、その結果國語改革が行はれたといふことをかつて金田一が書いてゐた。しかしながら、「現代かなづかい」を施行した背景に、明治以來の國字改革の動きがあつたといふことを金田一自身知らないはずはない(國語史の專門家ならずとも、常識である)。それを知つてゐて「アメリカの教育使節団が来て」はじめて國語改革の必要性を言はれたかのやうに記すのは、どういふ意圖があるのか。太田の怒りはそこに向けられてゐる。今囘引いた文章は、その部分である。

このことを、讀者諸氏は記述の上での些細な間違ひ(誤解)とは思つていただきたくない。あるときは、アメリカによつて、あるときは國語の性質(あるいは「言語學の常識」とさへ言ふやうな口振りで)によつて、と融通無礙に國語改革の契機を言ひ換へるといふ器用な立囘りは、言論人として最も恥づかしい行爲である。「巧言令色鮮し仁」即ち御都合主義と言つても良いだらう。太田は、さういふ體たらくを「言語感覚」の問題と指摘してゐるが、その通りであるけれども、さらに言つて私には「人間感覺」の缺如とも思はれた。故人を譏ることは非禮なことなのかもしれないが、歴史の事實は明らかにしなければなるまい。ウソは三邊言へば眞實になると言つた舊ソ聯の政治家がゐるが、ウソ附きは、やはりウソ附きなのである。改革を斷行した主體者は誰かといふ事實認定にあたつては、ごまかしてはならない。アメリカでも「幾多の曲折」でもない。紛れもなく金田一京助本人である。

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言葉の救はれ――宿命の國語228

2007年12月21日 07時27分34秒 | 福田恆存

(承前)

歴史的假名遣ひで學び、それによつて國語學を研究し教へてきた學者が「教育」を負擔と考へる欺瞞。文明の發展を時間量で測る不見識。文字を手段と見る錯誤。さうした言語感覺から導き出される「國字改良論」とは、したがつて「根本的な愚行」の一語に盡きる。教育は文化の傳達に奉仕すべきなのである。そして、その文化の核心に言語があるのであるから、言葉を文字として教へる行爲が「加重な負担」であるはずがない。文字を變更して(この場合はローマ字化である。やはり金田一京助の本質は、國語のローマ字化にあつたのだ)、文化を傳達できるはずがない。そして、その文化の傳達、習得に要する時間がローマ字を覺える時間よりもはるかに長い時間がかかるけれども、それが「損失」であることなど金輪際ない。全く返答に窮する愚問である。若げの至りであると言つてしまへばそれまでであるが、福田恆存との論爭の場面でも同じことが言はれてゐたのであるし、三つ子の魂百までと言はれるやうに、これは「信念」なのかもしれない、さういふ單純な文化觀・人間觀の持ち主であるといふことだらう。

そして、(言ふまでもないが)金田一の言語觀もまた單純である。文字は「媒介の媒介」とするのはいかなる料簡か。全く信じがたい。これにたいしては、臼井吉見が的確に言つてゐる。「言葉は知識伝達の手段であるという考え、いわゆる言語道具説は、現在かなり普及しており、小中学校の教科書にさえも見えているが、僕は福田氏とともに、あくまでもこの浅薄な実利主義と戦わなければならないと考えるものだ。一国の文化にとって、これほど凶悪な危険思想はない。」(「国語、国字の問題」『日本語の周辺』昭和五十一年)

 言葉は手段ではなく、目的である。このことは、福田恆存の「言葉は教師である」を一讀すれば、御理解いただけよう。

太田は、福田・金田一論爭にたいしてかう書いてゐる。

「金田一君。正直なところ、そして遠慮のないところ、僕は福田氏に敬意を表し、君にはもっと自重しろと言いたい。君は、福田氏の文章に対して「くどくど数百言が費やされている」と言うが、国語・国字問題に関心をもつ国民は、そのために費やされるものなら、数百言どころか数千万言を歓迎する。」

 金田一の言葉使ひの文法的な間違ひもいくつかあり、それについても太田は細かく指摘いてゐるが、ここでは省く。問題は國語改革についてである。

「金田一君。君の『言語学五十年』に、戦後現代かなづかいの出るところのことが書いてあるが、その文の中に、

*アメリカの教育使節団が来て見て、

『お前の国では、自国語の学習に十年も十五年もかかるのか』

と驚きあきれた。先進国が、たった二、三年、乃至四、五年で終えて、それからさきは自由に新知識の吸収が出来るのに、いつまでも自国語の学習に骨折って年を送って居ては、文化の水準に達することも覚束ないではないかと注意をされて、国民は愕然として今更本当にそうだと驚いたのである。*

とあるが、福田氏の口調をかりて言えば、『ここには明らかなウソがある』じゃないか。

 

以下、次囘に續く。

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言葉の救はれ――宿命の國語227

2007年12月18日 09時43分54秒 | 福田恆存

(承前)

前囘示した文藝家協會の決議は、それ自體は「現代かなづかい」で書かれてゐる。かうした折衷的な點については、妥協の産物と揶揄することもできるが、その點を考慮に入れても私は評價したい(福田恆存自身も、媒體によつて新假名で活字になる場合は容認してゐる。以前に述べたやうに歴史的假名遣ひ主義、今の言葉で言へば歴史的假名遣ひ原理主義ではない)。山本といふ一人の批評家としては、國家の強制による假名遣ひ改革を許せないのである。その良心の疼きを感じたからである。

 さて、金田一京助と福田恆存とを中心とする國語論爭において、最も精緻にかつ公平に行事役を果たしてゐたのは、太田行藏の『日本語を愛する人に』である。昭和三十一年五月三十日發行(三光社刊)の本書は、丸ごとこの論爭について述べてゐるものではない。中心は四十頁ほどの「金田一京助君と石川啄木」といふ文章であり、そこで詳しく批評がなされてゐる。金田一の友人である太田は、金田一が啄木に對して書いたやうに「金田一君」と呼び掛けて書き始められてゐる。テーマが變はる度に「金田一君」と始める文章は、友人ならではの味はひと共に、鋭く嚴しいものともなつてゐる。

  本書は、今やなかなか手に入らない。圖書館でもかなりの藏書を有するやうなところでもない。ちなみに、私がかつて住んでゐた九州のある縣にはどこの圖書館にもなかつた。大學の國語學の藏書にはあるかもしれないが、專門書ではなく、歌人の書いた「日本語論」であるから、さうさうあるものではないかもしれない(今住んでゐる所の近くにある大阪大學の圖書館を調べたが、藏書目録には入つてゐなかつた)。

  福田自身も、全集の「覺書」等で引用してゐる文獻であり、ぜひとも見てみたいものであつた。

「金田一京助君と石川啄木」(これも國語問題に御關心のある方は、是非とも一讀してほしい。御入用ならばコピーを進呈する)、目次はかうである。

 涙ぐましい肯定

 あんまり脚をあげすぎる

 君のために惜しむ

 あきらかなウソ

 罪人になる

 風向き次第

 文部省はずるい

 默って遠くから見守る

合計四十頁ほどの文章は、金田一の論の盲點を突いてゐて鋭い。金田一と太田とが同じ下宿に住んでゐた頃(明治四十年代頃か)、金田一は太田にかう語つたと言ふ。

「現代のわが国の書写法の不合理・不都合、少国民の過重な負担とむだな歳月・精力の浪費、このままでは、たった二十六七字で思うように書け、かつ読める西洋諸国と競争しなければならない世に、、一時代同齢の児童二十万としても、その二十万人が普通教育に五年ずつ損するとして総計百万年の損失である。こんなことでは国が滅亡するほかはない。文字はただ言語を目に見えるように表記する約束にすぎない。従来この約束を主要の知識と誤認していた。主要の知識の直接の媒介は言語である。文字はまたその言語の媒介である。すなわち媒介の媒介、いわば手段のまた手段だ。末の手段のために本の知識を吸収する歳月や精力を浪費することは本末顛倒である。(というのが言語学上からの当然の結論。)それ故に国家百年の大計のためには、一時代の不便くらいは犠牲にしても、一日も早く国字の改良を断行しなければならない。」

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日本の斷絶

2007年12月16日 11時40分45秒 | 日記・エッセイ・コラム

  福田恆存は、歴史の斷絶といふことで言へば、戰前とよりもむしろ關東大震災の方が大きかつたとどこかで書かれてゐた。もちろん、關東の話である。しかし、近代の中心は東京である以上、そのことは大きく現在までの文化の有り樣を決定づけてゐると言へよう。

  しかし、大阪に住んで四年。どうやらこちらには今も近代以前の情緒を引摺つてゐると思へることがあるらしいといふことに氣附いた。今年、世の中を騷がせた、「僞裝」の問題、赤福、米の混合、船場吉兆、これらは關西で起きてゐるといふことを思ふと、何かあるなと思はれた。もちろん、商業主義の行過ぎ、いい加減さの象徴と惡し様にいふことも可能である。が、それらは惡しき形で出たものであるにせよ、賞味期限やら官廳の監査やらに對しての「相對化」する庶民の本音の生き方であるととらへることも可能なのではないか。

  近代が「頭」の變化、觀念先行の變化であるとしたら、關西には「腹の中」では「頭の命令」には屈伏せえへんでといふ本音が生きてゐる。ちょつと別の話になるが、テレビでも、やしきたかじんやら、上沼惠美子やら、毒舌の司會者が人氣を博してゐる。彼らが作り出す雰圍氣の中では、したがつて東京文化人もつい本音で話してしまふやうになる。だから面白い。もちろん、その面白さを生み出す「腹の文化」が僞裝問題を生み出したのだから、すべてを肯定することはできない。しかし、赤福でも米でも吉兆でも、死んだ人は誰もゐない。その程度の問題である。むしろ、頭の變化をもたらす、「觀念先行」は、肝炎の例を見ても分かるやうに命取りになる。頭の變化のはうが危險である、とも言へまいか。

  命取りと言へば、三島由紀夫は東京の作家の典型である。腹を切つて憂國の頭を貫いた。身體を精神で支配できると考へたから、ボディービルを心掛けた。小説も構造のしつかりとした重厚なものを書いた。觀念の勝利である。が、その結果身體を失つた。見事である。それは近代といふ時代が求めた生贄であり、その悲劇は私たちの心を打つ。それに對して關西の作家の代表は、谷崎潤一郎である。まさに腹の文化、もつと言へば下腹部の文化である。構造と言ふよりは文章で小説を書いた。だから、長命である。觀念など横に置かうとした。江戸の情緒を引摺つてゐる。だらだらとした文章は、江戸の情緒を越えて平安文學を感じさせさへする。

  ならば、大阪は第二の東京など目指す必要はない。戰前に「京都學派」があつたやうに、新日本學を關西發ですれば良い。腹の文化の學問である。もちろん、頭も連れていかなければならない。賞味期限をいつはるのはやはり問題だ。研究の水準は國際レベルでなくてはならない。京都にある國際日本文化研究センターもほんらいはさういふ意圖で作られてゐるはずであるが、なになら專門的にすぎ、大義を失つてゐるやうに見える。

  京都大學の佐伯先生には、以上のやうな御話をした。先生は「うん、さうだね」といふだけであつたが、もちろん、私の質問などに眞劍に答へる必要も義理もない。だが、京都大學の總合人間學部にはさういふ學問を期待してゐる、さう傳へるのも私の勝手である、さう思ひこんで勝手な話をさせてもらつた。

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