言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

言葉の救はれ――宿命の國語271

2008年05月28日 09時06分46秒 | 福田恆存

寝言も本のはなし 寝言も本のはなし
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:1999-05
漢字と日本人 (文春新書) 漢字と日本人 (文春新書)
価格:¥ 756(税込)
発売日:2001-10
(承前)

 梅棹氏は、ローマ字で書くやうになつてから、「どうしてもむつかしいことばはさけるようになる。ことばえらびに慎重になるとともに、難解な漢語はやさしいことばにいいかえていこうとする。かざりのおおいことばにまどわされることなく、できるだけ平明で論理的な文章でかくようになる。ローマ字によって、わたしの文章はきたえられたのである」と書いてゐるが、漢字の多用による内容の空疎化については、一理ある。

漢字をできるだけ使はずに文章を書かうとして努力してゐる文筆家がゐる。

「毎度申すように、漢字で書くと日本語が見えなくなる。漢字はよその国のことばをあらわす文字なのだから、日本語が見えなくなるのは当然だ。小生毎度、日本語は極力かなで書きましょう、と申すゆえんである。」

(高島俊男『お言葉ですが…④』二五一頁)

  なほ、この方の漢字論については、一度觸れたいと思つてゐる。さしあたり必要文獻としては、『寢言も本のはなし』(二一〇頁以降)を擧げておく(その後、文春新書から『漢字と日本人』が出てゐる)。

  閑話休題。

梅棹氏への疑問は、ローマ字を使ふことによつて「自分の日本語がよくなつた」といふ個人的感慨によつて日本語のローマ字化を進める根據としたといふことにある。非學問的、非人道的、非論理的、非科學的な取り組み方についてである。

  ざつとこの「ローマ字の時代」といふ文章を讀んで、こんな文章を今の時代に發表するといふ無神經さ、あるいは無節操さにはあきれてものが言へない。

  はじめはローマ字論が良いと思つたが、「その後、運動はあまりさかんにはなら」ず、「日本語の表記をなんとかしなければならないというおもいは、その後もずっとわたしの心のなかにあった」から、「カナモジ運動」とかかわりを持つにいたったといふのは、一見誠實であるやうに見える。しかし、「日本語の表記をなんとかしなければ」などといふのが、そもそもおこがましいことではないか。日本人の表記として國語があるのであり、それは「漢字かな交り文」を以て正しい表記法とすることは大前提である。それを疑つて、「能率的でない」だとか「學習者の負擔が大きい」だとか言ふのは、僭越の極みである。人間が空を飛びたいから羽根を移植しても飛べないやうに、そして飛行機に乘れば良いやうに、國語の文字を變更してローマ字にするのではなく、ワープロやパソコンを使へば良いのである。それで「けり」はついてゐる。

「日本語には確立した文法もなく、文章のかきかたにしても、きまった正書法がありません。どのようにでも、かけるのです。たとえば、おくりがなひとつにしても、あかるい、明かるい、明るい、明い、とどれでもいいようになっています。漢字でかいてもいいし、ひらがなでかいてもいい、しかも、漢字には音と訓があり、その音もなん種類もあり、訓もなん種類もある。ひとつの字が場合によると、なん十種類にもよまれる。近代文明語で、こんなべらぼうな言語がほかにあるでしょうか。

 日本語は、こういうふうに悲惨な状況のままで放置されているのです。戦後の当用漢字、現代かなづかいなどの国語諸改革にもかかわらず、とうてい近代語として整備された言語ということができません。明治以後に近代語としての日本語の形成のために、さまざまな努力がおこなわれたことはみとめますが、ざんねんながら成功したといえないのが実状であります。日本語は、いわば野ばなしの言語、野そだての言語なのです。洗練というのには、ほどとおいのが現実であります。」

(『あすの日本語のために』二〇六頁)

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後期高齢者にもさまざまな人がゐる

2008年05月25日 19時58分38秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日、久しぶりにフジテレビの朝の報道番組を見た。この黒岩さんといふキャスターの正義感たつぷりぶりが、私の俗物性を誘發するのか、どうにも鼻につくので嫌ひなのだが、つい今朝は見てしまつた。舛添大臣をやり込めるのはいつもの調子だが、その一方で老人達をみんなで守らうとするのは私には決して美しくは見えなかつた。甘やかすなである。日本の老人は金持ちなのではなかつたか。これからはシルバー産業が大流行といふのがしばらく前からの經濟通の通り相場と聞いてゐたが、どうやら世界一貧しい老人になつてしまつたのらしい。しかも、「あの人今日は見えないね」「風邪でもひいたんぢやないの」といふ病院こばなしがまことしやかに語られるほど、病院のサロン化が進んでゐたのではなかつたか。七十五歳以上に嚴しい今囘の政策は、稀代の惡政であるかのやうに言ふが、それは本當か。私の兩親は數へで八十になるが、そんな弱音を吐いてゐる餘裕はない。あれを買ひたい、これを食べたいと毎日のやうに言つてゐる(やうだ)。先日、歸郷したら新型の液晶テレビが鎭坐してゐた。聞けば、2011年から普通のテレビは見られないさうぢやないか、それで買つたのだと言ふ。あと三年は少なくとも生きてテレビを樂しまうと言ふ算段である。嬉しかつた。決して質實剛健に生きて來た兩親ではないけれども、生きる迫力を今も持ち、樂しまうとする氣概を感じた。兩親に給付される年金は、最低の額である。二人で10萬圓そこそこであらう。それでも愚癡をこぼさず暮らしてゐる。鷄を育てて稼いでゐるからでもあらう。それも人生を樂しむためである。

  先日、大阪大學名譽教授の加地伸行先生が産經新聞のコラム「古典個展」にかう書いてゐた。

「甘えてぶらさがる厚顔老人には厳しくすること。遠慮することはない。晩年、孔子は不作法者の原壌(げんじょう)という老人に向かって「幼いときから礼儀知らず。大人となってから、これという取りえもない」と罵(のの)しり、「老いて死せず(年をとって生きているだけ)」と言って、つえで原壌のすねをぴしゃりとたたいた(『論語』憲問篇)。孔子は厳しいのである。」

  痛快である。かういふ強い精神を私も75歳になつても持ち續けることができるか心許ないが、さうあらうと努力だけはしようと思ふ。

  言ひにくいことを、政治家はほんたうに言はない。それが一番いけない。國民を信じていいと思ふ。言ひにくいことを言ふ政治家を落選させるほど馬鹿ではない選擧民もゐる。今、思ひ出したが、なんだかキムタクが政治家を演じてゐる番組があるらしいが、その大衆迎合は凄じいらしい。ポピュリズムは止めた方がいい。

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時事評論石川 5月号

2008年05月24日 07時27分54秒 | 告知

○最新號の目次を以下に記します。どうぞ御關心がありましたら、御購讀ください。編輯長は、長く「月曜評論」の編輯長を務めてをられた中澤さんです。「諸君!」「正論」では取上げられない話題と、鋭い視點を毎號讀者に提示する得難い新聞です。1部200圓、年間では2000圓です。

「パンダ」の正体見たり

    ――所詮「日中友好」は絵空事としれ――

                  ジャーナリスト 立石 守

メディア総戦力時代における保守派の対応

  仮想社会から現実社会への浸透

        情報社会評論家・大学講師  那須陽一

奔流            

消滅したか憲法改正問題

  ―衆参ねじれを反映―    (花)

コラム

        日中首脳会のまやかし  (菊)

        誤りは潔癖に訂正を (柴田裕三)

          「國民力」が試されてゐる(星)

        「蛇足判決」に喜ぶ朝日(蝶)            

  問ひ合せ

電話076-264-1119    ファックス  076-231-7009

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言葉の救はれ――宿命の國語270

2008年05月23日 11時48分22秒 | 福田恆存

(承前)

  前囘引用した梅棹氏の文章は、じつにをかしなものである。走る自動車の中で、しかも夜中に、文章を書くといふ、およそ私たちの日常生活にあり得ない特殊事情を擧げて、「ローマ字が威力を発揮した」といふのであるから、ローマ字化といふものにどんな必然性があるのか大いに疑問である。

  私は、この體驗をそもそも信じてゐない。この話は昭和三十年のことだと言ふ。場所はアフガニスタンである。今から五十年も前の前の自動車の性能や、道路の状況を考へて、たとへタイプであらうと、どれぐらゐの文章が書けただらうか。車醉して體調を崩してしまふのが堰の山である。こんな作り話まで持ち出さなければローマ字化の效用を言ひ出せないとは、バカバカしいにも程がある。もちろん、私は效用の大小を以て文字の優劣を決める考へはない。國語は、傳統の中にこそあるものであつて、文字を現代人の思ひつきで變へることなど許されることではないと思つてゐる。

  ところが、梅棹氏は合理主義者である。近代主義者である。そんな氏が、こんな特殊事情下においてしか有效性を示し得ないローマ字化を推進するといふことが、全く譯が分からないのである。

  梅棹氏は、かうも書いてゐる。

「さまざまな場面でのローマ字の実践を通じて、わたしが得たもののひとつは、おそらくはわたしの日本語の文章がいくらかはよくなったことであろう。ローマ字でかこうとすれば、どうしてもむつかしいことばはさけるようになる。ことばえらびに慎重になるとともに、難解な漢語はやさしいことばにいいかえていこうとする。かざりのおおいことばにまどわされることなく、できるだけ平明で論理的な文章でかくようになる。ローマ字によって、わたしの文章はきたえられたのである。」

(『あすの日本語のために』五十七頁)

 ローマ字で書いたから、「文章がいくらかよくなった」といふのは、梅棹氏の個人の感慨であるのなら、それはそれで良いことである。「文章がよくなる」ことは、私も贊成である。しかし、ここに二つの疑問がある。

  一つは、ローマ字で書かなかつたら、良くならなかつたといふ例を擧げなければ、少なくとも個人の主張としても眞實であるかどうかは明確にはならない。それなくしては恣意的な主張であることを否定することはできない。年かさを益してゆくにつれてうまくなつたのではないかとの反論は當然想定すべきことである。もちろん、これは皮肉であつて、ローマ字化でうまくなつたといふ程度なら、その前の文章がよほどひどかつたのではないかといふことになる。文章の推敲力は、ローマ字化によるのではなく、もう一人の自分を作れるかどうかにかかつてゐる。漢字をむやみに使ふかどうかといふ技術論的な問題も確かにある。漢語の多用は、内容空疎になりやすいといふのも事實である。それなら漢語はなるべく使はないといふ方針で書けば十分であつて、ローマ字表記の恩惠といふ結論を直ちに導き出すのは、をかしい。始めに結論ありきの文章である。更に皮肉を言へば、これほど稚拙な文章を書いてゐるのに、「おそらくはわたしの日本語の文章がいくらかはよくなった」といふのは、何かの冗談であらう。

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言葉の救はれ――宿命の國語269

2008年05月19日 07時21分47秒 | 福田恆存

(承前)

 餘談ながら、前囘引用した文章にあつたやうに、北朝鮮を朝鮮民主主義人民共和國と書き直すところにはある種「時代」を感じてしまふ。また、北朝鮮は正式名稱を附記しながら、韓國の方は大韓民國と書かない欺瞞は、梅棹氏の考へ方の偏りを象徴してゐるやうに思へる。

  さてそんなことは措いておいて、「近代化をなしとげるにあたって、いっせいにこの国字改革の課題につきあたった」といふのは、本當だらうか。「いっせいに」と言ふ割には、擧げてゐるのが三ヵ國だけであるのも論證としては弱い。しかも朝鮮半島において、ハングル文字が使はれたのは十五世紀である。これを以て「近代化をなしとげる」といふのであれば、李氏朝鮮は世界で最初の近代國家といふことになつてしまふ。もちろん、梅棹氏にはそんな御考へは毛頭ないであらう。しかしながら、韓國や北朝鮮の事情は、「近代化」云云の文脈ではなく、やはり日本帝國主義時代の日本語強要への抵抗や反感といふ側面を無視しては、今日のハングル文字への畫一化は語れまい。「文明の生態史觀」を標榜する氏には、アジアといふものを一つの文脈で語りたいといふ願望があるのであらう。しかし、歴史にはさういふ普遍的なものがあるとしても、個別的な事情を無視してはならないものもあるはずである。

  また、もし今後韓國で漢字の再評價が始まり、學校教育で漢字を見直す動きが出たら、梅棹氏の主張によれば、反近代化の動き=反動といふことになるが、そんなことはないだらう。それを考へても、氏の漢字害惡論は穩當さを缺いてゐる。漢字への憎惡があるのであらうか。

  さらに、氏は擧げてゐないが、支那も正字から簡體字に變へたが、あれは共産化の過程でなされたもので、近代化ではない。だから擧げなかつたのではないか。あるいは近代化を成し遂げた臺灣においては正字が今日でも使はれてゐることを書いては、「近代化=國字改革」の圖式が妥當なものではないことが明らかになつてしまふからではなからうか。

  そもそも、ローマ字化などといふ暴論を正當化しようといふことに大きな誤りがあるのである。梅棹氏の擧げてゐる、ローマ字化のメリットといふものが、一讀あきれてしまふほど幼稚なのである。

「ローマ字が威力を発揮したのは、このときである。わたしはヘルメスの小型タイプライターをもっていた。うす型の軽量の機械で、わたしはそれを膝のうえにのせた。車がはしっているあいだ、わたしはタイプライターでローマ字がきの日記をかいた。車窓からの観察を、刻々と記録してゆくのである。車がゆれても、タイプライターをたたくのになんの障害にもならない。もっとも効果を発揮したのは夜である。わたしたちは、大陸横断の『大幹線道路』をしばしば夜のあいだはしった。そのあいだも、わたしはたえまなくタイプライターをたたきつづけた。タイプライターのキーの位置は、指がおぼえているので、わたしは夜になってみえなくなってもすこしも不便はないのだ。行がおわりになれば、機械がチーンとなる。そこでプラテンをもどす。こうしてわたしは、旅行の完全な記録をつくることができたのであった。」

(同書 五〇、五一頁)

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