言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

学校には「門」がある。

2021年08月25日 21時23分17秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 夏休みが終はり、全国的に二学期の授業が再開されてゐる。コロナ禍にあつて開始時期を遅らせる地域もあるとのことだが、果たしてそれは妥当か。ゼロコロナを求めれば、家にじつとしてゐるのがいいのだらう。政府も分科会もそれを求めてゐるやうだ。しかし、果たしてそれでいいのか。学校が閉ぢれば、その経験が児童生徒学生の記憶に残る。ことが起きた時には問題の解決を図るよりは問題を回避するのがいいのだなといふ感覚が、じわりと浸透する。しかし、それは不作為の伝播といふことである。

 パンデミックの状況下で、我が国はいち早くこの問題を解決して未だ呻吟する国を救ひにいかうといふ声は皆無である。その意味では中国は凄い。文字通り凄い。国家意思の力は歴然だ。解決と回避との懸隔は甚だ大きい。

 初期診療をなぜ全国の開業医にさせないのか。感染症の分類が邪魔をしてゐるといふのであれば、そんな人為的な「壁」は人間が壊せばよい。それをやるのが政府である。わざわざ早期治療をさせないやうにして、その結果感染者を重症化させて、それでは病院をさがしませう、おいベッドが足りないぞ! と叫んでゐる。マッチポンプである。

 閑話休題。

 学校には門がある。それは容易には越すことのできない高さがあつて、外敵の侵入を防いでくれる。逆に言へば、中にゐる者を守るものである。中には圧力がかかるから、それが学習の成果を上げる働きをする。

 オンライン学習に果たしてそれがあるのか。

 授業が情報の伝達の場であるといふことは事実である。しかし、それは映像においても可能であるとするのには飛躍がある。それは家には「門」がないからである。この場合の外敵とは、ゲームであつたり漫画であつたり、眠気や食欲であつたり、圧力がかからない場では情報は伝達しにくい。有り体に言へば、「気安く学べる」は「気安く学びを放棄できる」といふことである。

 学校は再開しなければならない。コロナ禍でこそ、その意思を示すのが国家の役割である。

 名古屋大学の教育学部に坂本將暢先生といふ方がゐる。教育方法論を研究されてゐるが、今年になつて何度か「授業のあり方」について相談にうかがつてゐる。極めて大きな示唆を受け、行くたびに課題が解決されてゐる。その先生が『教育と医学』(慶應義塾大学出版会)7・8月号に寄稿されたのが「オンライン教育の効果と課題」である。

 そこにかうある。

「学校の『門』は、それを越えられない児童生徒がいるくらいのハードルである一方で、世界や領域を切り分ける口でもあることがわかります。」

 学びは誰でもか可能だが、その「誰」に自分が入るかどうかはまた別の問題である。そこを切り分けるのも「門」である。教師も保護者も、そして文科省も、学校の敷居を低くしよう低くしようとしてゐるが、それは根本的なところで間違つてゐる。「門」が低くなれば、それだけ「気安く学びを放棄できる」ことになるからだ。

 やれやれといふ思ひの中で、二学期が始まる。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

光明徧照十方世界 念仏衆生摂取不捨

2021年08月23日 09時54分20秒 | 日記・エッセイ・コラム

 

 

 この夏は、父の納骨式があつた。四十九日の法要と併せて新盆の法事もしていただいた。

 久しぶりに西念寺を訪ねた。山梨の夏の涼しさが殊の外気持ちよく、法要の間境内には風が入り静かな時間が流れてゐた。祭壇の横の柱に刻まれてゐたのが、標題の言葉である。

 調べると「観無量寿経」の一節であると言ふ。「こうみょうへんじょうじっぽうせかい ねんぶつしゅじょうせっしゅふしゃ」と読む。その意味は「阿弥陀様の慈悲の御心である光明は、いつもすべての世界を徧(あまねく照らし、念仏を唱へる私たちを見捨てず、必ずお救ひくださる」といふ意味であると言ふ。

 かういふ意識によつてこの宇宙が作られてゐると考へることが、宗教の本質であらうと思つた(仏教のことなど何も知らない私がかういふことを書くことに何のためらひもないわけではないが、半可通なのはいつものことだからいつものやうに書かせていただく。ご寛恕あれ)。私が私の思惟によつて救はれるのではなく、絶対他者の一方的な愛によつてすでに救はれてゐると考へるところが原点になければならない。自己の肯定も否定も、その絶対他者を介在しなければ単なる思惟の産物となつてしまふ。その意味でも「自己肯定感」といふ言葉には重大な欠陥がある。それが自己の認知活動でしかなければ極めて空しいものとなる。

 大事なことは、近代の日本が絶対(他)者を発見できなかつたことだ。自己過信と自己卑下とに引き裂かれてゐることに、現代の問題の根本がある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児美川孝一郎『自分のミライの見つけ方』を読む

2021年08月22日 10時53分47秒 | 本と雑誌

 

 そろそろ夏休みも終はるので、仕事のモードの本を読み始めてゐる。

 私は、今の学校でキャリアデザイン部といふところの取りまとめをしてゐる。柄にもないと自分でも思ふ。文学やら思想やらの本を読むことを専らにしながら、仕事では「キャリアデザイン」を生徒に向けてアドバイスするといふのは、違和感もある。

 ところが、この児美川先生の文章を読んでから、その考へが変はつた。氏の『キャリア教育のウソ』は名著である。全国の高校大学の先生方はお読みになられると良い。何が嘘か。就職は自分の夢の実現だといふ常識である。大学や高校の教員自身が、いまの仕事や研究内容を18歳で決めてゐるはずないのに、青年には「なりたい職業は何か」といふことを迫る。その自己欺瞞をやめよといふのである。私は快哉をあげた。まつたくその通りである。「なりたい職業を探す」「就きたい職業を決める」それはいい。しかし、それはあくまでも「仮置き」であるといふことを前提とすべきで、大事なことは「探す」といふことの練習をしませうといふことだ。

 本書でも、「七五三」といふ名称で、中卒高卒大卒生が三年後にどれぐらゐ離職するかといふ統計を示してゐる。実際には高卒が四割、大卒が四割に近い三割ださうだが、それぐらゐ離職するのが現状だ。それは「今の若者は堪え性がないからだ」と非難したくなる人も多いだらうが、果たしてさうだらうか。18歳や22歳で一生を決められるほど、現代社会は安定化してゐるのだらうか。私は保守的な人間だが、こと職業選択については30歳までに決めればいいのではぐらゐに思つてゐる。

「キャリアデザイン」の主語は、各自である。「進路指導」のやうに主語が教員であれば、教員が進路について熟知してゐることが少なくとも前提になければならない。しかし、そんなことはできない。もはや諦めた方がよい。しかも教員といふ職種についた人間は、本当に”就職活動”などしたことあるのだらうか。研究室に入り浸つたり、会社勤めが苦手だつたりするやうな人種がなる職業ではないだらうか。さうであれば、そこはあつさりと諦めて、生徒学生自身が自分で「探す」といふことの知恵と技術とを訓練する機会を提供するだけでよいと思ふ。私たちはそれを「キャリア構想力」と名付けた。

 さて、本書であるが、高校生や大学生向けに書かれたものであるので、さつと2時間ほどあれば読めてしまふ。大人には物足りないが、それは狙ひが違ふのであるから仕方ない。それより読みやすくするための工夫に感動した。さすがた児美川先生である。

 職業選択には、自分軸だけでなく、社会軸といふものも必要だ。そして、本書ではあまり書かれてゐなかつたが、自分の出来ること(能力軸とでも言ふのだらうか)の軸もある。「やりたいこと」「やるべきこと」そして「やれること」の三軸である。「やりたいこと」について、本書では「資源」といふ言葉で新たに説明がされてゐた。ここに「能力軸」が暗示されてもゐるやうだ。「自分は何が好きか、得意か、何をやっているときが面白いか、充実しているか。そうしたことに自覚的になって、コツコツ蓄えていってほしい。すると、いざというときには『やってみよう』と一歩をふみだせるんじゃないだろうか」。

「資源とは、自分の中の小さな感動のこと」とある。これまで、私は中等教育では「やりたくないこと」を見つけようといふ言はば「補集合(ある集合Aが全体集合Uの部分集合であるとき、ある集合を全体集合から除いたあとの集合。)戦略」でキャリアデザインを語つて来た。今後もそれでいいと思つてゐるが、この「資源」といふ言葉を活用して、その「戦略」を補強していかうと思つた。

「やりたいことは何か」の呪縛にとらはれてゐる生徒学生(いやいやその戦略しか知らない教員たちこそ強い呪縛にぐるぐる巻きにされて喜んでゐる!)に、薦めたい書である。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『昔は面白かったな』を読む。

2021年08月21日 13時08分51秒 | 本と雑誌

 

 石原慎太郎と坂本忠雄の対談集。

 雑誌『三田文学』の連載対談を本にまとめたもので、同じ話が何度も出てくるし、特に話題を深めるといふこともなく、新潮社の名編集長と呼ばれた坂本がもつと怜悧な視点で石原に挑むかと思つたがそれもない。文字通り、「昔は面白かつた」と言つてゐるだけだ。もつとも「昔は良かつたな」ではないところがミソ。文壇といふ、私たち一般人にはその名称しか分からない作家たちの社交の場の人間模様を描いてゐて、確かに「面白い」。小林秀雄の水上勉いじめはつとに有名だが、川端康成の三島嫌ひや、大江健三郎の石原称揚は、初めて知つたし、古いところでは、林房雄と高見順が大喧嘩したときに川端の一言で止んだといふのも、文章には現れない作家の表情がある。もちろん、それらは文學の価値とは何の関係もないが。といふことは、これは石原慎太郎の個人的関心事を、かつての担当編集者が聞き出したといふ本である。それはそれでいいのだらう。それ以上でもそれ以下でもない。

 私は、石原の小説を読んでゐないので、坂本の評価についてはなるほどさうかと聞くばかりである。ただ、今後は読んでみたいと思つたのも事実である。『刃鋼』といふ小説は、特に読んでみたいと思つた。森元孝といふ文藝評論家が『石原慎太郎の社会現象学』といふ本を出してゐると言ふ。それも面白さうだ。

 三島由紀夫に対するアンビバレンスも面白かつた。「僕は三島さんが好きだったし、尊敬もしてたけど、自伝の『太陽と鉄』がそうだけど、あまりに自分についての嘘が多くてね」といふ言葉は、石原の三島評の過不足なく評価だらうけれども、三島文学の「豊饒な不毛」について分からないのだと思つた。文学つていふのは不毛でいいのではないか。嘘の多さを言つても、それが豊饒であれば。それよりも嘘が多い上に不毛ばかりの大江健三郎の方が、私には度し難いと思ふ。私の尊敬する文藝評論家の故遠藤浩一は三島由紀夫と福田恆存を並べて論じたが、三島由紀夫と石原慎太郎を論じてもいいかもしれない。「豊饒な不毛と二毛作」つてどうだらうか。

 福田恆存の名が出てきたついでに、福田恆存評についても腐しておく。

 石原は「福田訳のシェークスピアはあんまり魅力ないな」と言ふ(どこがどうなのかを訊きたいけれど)。

 それに対して坂本は「福田さんは人柄がよくて真面目な人でしたが、何か文章が痩せている気がしますね。吉田健一のほうがふわっとして柔らかいと思います」と。「文章が痩せている」の根拠が「ふわっとして柔らか」くないといふのであれば、それは好き好きだらう。それで批評されたらたまらない。吉田健一の文章が「ふわっとして柔らかい」といふのも吉田も嬉しいかどうか。じつに感覚的な評言で、現代文学の先細りも案外かういふところに原因があるのかもしれない。

 それにしても、この本には出てこない作家に、丸谷才一がゐる。石原は吉行淳之介が嫌ひださうだ。それは本人にも直接言つてゐたらしい。しかし、同じく芥川賞の選考委員であつた丸谷については言はない。それから江藤淳については盟友のやうな関係で頻繁に出てきたが、同じ時代の批評家である山崎正和についても何も触れない。丸谷と山崎とを黙殺するといふところに、「文壇」の闇もあるのだらう。文壇がサロン(大人の社交の場)にならずに、仲良しグループでしかないといふのは、作家連中の集まりが子供会でしかないといふことを意味してゐるのではないか。「昔は面白かった」の「面白さ」とはさういふ位相にあつたとすれば残念だ。精神の未熟さが日本近代文学を生み出したのだとすれば、いまのさつぱりとしたサラリーマン作家の作品群の方が青年段階に到達したといふことになるのかもしれないのである。

 それにしても時代の記録としては「面白かったな」。

追記 文藝評論として読んだ時、坂本の重要な指摘は、石原文学にはいつも「死」が隣接してゐるといふことである。それに対して石原は自分は肉体派だからなと応じるのも極めて興味深い解答である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

太陽の塔に入りに行く。

2021年08月20日 21時13分43秒 | 日記

 この夏休みに最後のイベント。太陽の塔の中に入る、だ。

 再生プロジェクトの始まる前に一度入つたことがある。埃をかぶつて、内部の中央にある生命の樹は錆びてゐた。赤い壁に驚き、初めて入つた雰囲気は廃墟のやうでも、あの頃の空気を閉じ込めたタイムカプセルのやうでもあつた。

 

 それが今日は、当時のパビリオンに入つたやうな高揚感があつた。音楽が流れてゐたので、「これは当時も流れてゐたのですか」と訊くと、「その通りです。黛敏郎の曲です」とのことであつた。いかにも前衛作曲家(ご本人は保守派の思想家でもあつたが)のやうな荘重な曲であつた。時代を感じるが、それが大阪万博の基調である。建物が型枠式の鉄筋コンクリート造で重厚であり、現代のやうな鉄骨にパネル部品を組み立てたやうな軽い味はひとは異なつてゐる。写真で見る大阪万博は派手で明るいトーンであるが、実はさうでもなかつたやうに感じる。

 太陽の塔は、飛び立つ前の鳥のやうな姿であるが、大地に突き刺さる杭のやうにも見える。内部の壁にある真つ赤なヒダの連続模様は、血が通ふ体内を想像させる。躍動とも言へるが、身体の内部を見た時に感じる不気味さもある。

 外は雨で、人は少なかつた。中は定員制なので人数は決められてゐるが、外よりは人が溢れてゐた。

 1970年の遺物を現代の私たちが大事に保存してゐる。この営みが嬉しかつた。あの当時異端であつた太陽の塔、その建造物だけが現在の万博公園に残り、それを人々が楽しんでゐる(正確には鉄鋼館も残つてゐるが)。この逆説が岡本太郎には相応しい。

 予約をして一度行かれることをお勧めしたい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする