言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

西尾幹二氏の「福田恆存論」を讀んで

2004年12月30日 21時11分38秒 | 日記・エッセイ・コラム
 『諸君!』二月號の「行動家・福田恆存の精神を今に生かす」は、たいへん讀みごたへのあるものでしたね。久しぶりに讀むのが惜しくなるやうな論文で、じつくりと讀ませてもらつた。さすが福田恆存の謦咳に觸れてゐた方だけあつて、福田恆存の思想がどうのやうな口調で話されてゐたのかを知つてゐる、貴重な言説である。もちろん、身近にゐたがゆゑに見えないものもあるはずで、ああ、そんな野暮なことはここでは言はないことにしませう。
 ただ、編輯部のつけた「長持ちする思想家」といふのはひどすぎますね。度し難いセンスです。さういふ切り口で福田恆存を讀んでゐる讀者はゐない。さういふ、國語の傳統に馴染まない言葉を使つて平氣でゐる人間を斬るのが福田恆存なのです。

 さて、西尾氏の「福田恆存はハムレットである」といふ見方は、まつたく同感ですね。ですが、それが「行動家」と命名されるのはちと異論があります。特に、西尾氏の「行動」は政治行動や社會運動のことであるやうですし、確かに日本文化會議や國語問題協議會や現代演劇協會などの創設を見ると福田恆存=行動家といふ圖式が當てはまるやうに見えます。ですが、やはりそれは事の表面だけであつて、その裏面でのより大きな精神的營爲の方が私には重要に思はれます。
 言つてよければ、それは「祈り」なのです。何に祈るのか、つていふ疑問は當然起きますがね、それはもちろん神でせう。自然と言つても良い。内村鑑三流に「天然」と言つた方が良いでせうか。自あるものではなく、天に由來するものといふ意味で。『人間・この劇的なるもの』のなかでの「個人を否定する爲の全體」といふのは、西尾氏が言ふやうな國家や共同體や歴史といふものばかりでなく、それらを包攝する、あるいは超越する「何か」だと思ひます。福田恆存はそれを意識し、それに祈りつつさまざまな決斷をしてきた。
 「主人持ち」といふ言葉が、この論文の中ほどに出て來ましたが、論爭相手の「主人」に對して、こちらも別の「主人」をもつて來る、それでは結局政治主義に終はつてしまふ。福田恆存は、私もあなたも同時に否定し肯定する「全體」を見てゐた。ところが、西尾氏には、それが見えてゐない。そんな風に感じましたね。だから、西尾氏の「行動」とは「政治運動」と同義なのであつて、平たく言へば「はないちもんめの掛け聲」に過ぎないのです。西尾氏の言説が、他者を寄せ付けない言ひ放しのやうに見えてしまふのも、自分の「主人」をかざしてゐるだけにしか見えないからかもしれません。
 それに對して、福田恆存の行動とは祈りなのです。だからこそその言葉は時代を越えて讀者の心を引きつけるのです。どうせ「長持ちする」と言ふのなら、そこまで言つて欲しかつたですね、編輯部の方。「祈りの人・福田恆存の精神を今に生かす」ですよ。
 「これ以上自我の芯で戰ふのは間違ひではないかと最近しきりに考へてゐる」といふ一九七〇年代の福田恆存の發言の眞意も、私には「自我(告白)の否定=祈り」でなければ、自己の言動がすぐに何かの集團の擁護論として見られ、政治主義に絡めとられてしまふといふ意味であるやうに思はれます。政治運動は、平面のシェア擴大運動にしか過ぎないんです(ここら邊りは、最新の『昧爽』に書きましたので、興味のある方、讀んでみて下さい)。

 ですが、かうした瑕疵とは別に、實に有益な指摘もありました。
 福田恆存の用語の「自由」と「宿命」との定義にはゆらぎがあるといふこと。これはなるほどさうだなと膝を打ちました。曖昧にしてゐたところをずばりと言はれたやうでした。
それから、平和、民主主義、平等、自由などの概念の安易さに人人が氣附き、福田恆存の言説が表面的には「常識」になつてしまひ、保守化してゐるが、それだけに問題點が潛在化してしまつてゐるといふ認識は、私も共有してゐるものです。

 いつの日か、大部の福田恆存論を御書きになるんでせうね。それを心より期待してゐます。年末のオピニオン誌に、かういふ痛快な文章が載つたといふのは、たいへん嬉しかつた。もちろん、今年最高の文章です。



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『福田恆存全集』年譜補足2

2004年12月21日 20時19分59秒 | インポート
昭和21年
1月 「1947年の文壇へ」は、全集では「人間」に掲載とあるが、見當らない。
座談會「新文學樹立のために」が『新小説』に掲載。

3月 「獄中のことば――尾崎秀實『愛情はふる星のごとく』」は全集には輯録されてゐないが、『智慧について』に輯録。

4月「ひとつの寓話」は全集には輯録されてゐないが、『智慧について』に輯録。

5月「文化人と政治活動」は全集には輯録されてゐないが、『智慧について』に輯録。

8月「文藝學への疑ひ」は全集には輯録されてゐないが、『白く塗りたる墓』に輯録。

9月「終戰後の文學」が『現代日本文學論』に輯録。
「無償の讀書――讀書からなにを得るか」は全集には輯録されてゐないが、『智慧について』に輯録。
「困つた風景」は全集には輯録されてゐないが、『智慧について』に輯録。

11月『近代の宿命』は20日附けに全集ではなつてゐるが、30日附けが正しい。
謎の喪失」は全集では11月30日附けになつてゐるが、『白くぬりたる墓』では昭和22年の10月中旬とある。どちらが正しいかは不明。


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言葉の救はれ――宿命の國語8

2004年12月19日 12時49分52秒 | 国語問題
 いささか横道にそれてしまつた。
 話題は、國語問題である。參考文獻としては、福田恆存と土屋道雄氏の實質的共著『國語問題論爭史』があげられる(聞くところによると、この書近近、土屋先生が加筆した増補版が出るとのこと)。
 これを御讀いただければ、明治以降の「國語國字問題」が明瞭になる。しかしながら、それはなかなか手に入れにくい。私の學生時代、卒論に使ふために古書あさりをしてゐた今から約二十年ほど前、早稻田の古書店でそれを見つけた。店主の横の棚にいかにも高價な本として置かれてゐた本を、名稱だけは知つてゐたが、未だ見たことのない私は嬉しくなりいさんで手にしたが、賣り値五千圓となつてゐたので、仕方なく棚に戻した。餘分なお金を持ち合せてをらず、卒論は日本近代思想史、なかんづく内村鑑三を主題に選んでゐたので、斷念せざるを得なかつた。早稻田界隈を一巡したあと、もう一度その店に立ち寄り、思案したが、やはり諦めた。食費を節約しても足りる額ではなかつた。
 今『國語問題論爭史』は、私の手元にある。十五年の後、入手したものである。當時の賣り値より高かつたが、今はそれを買ふことができた。いろいろと古書店をまはりながら、一向に見つからなかつたその本が、近隣縣にも古書店が滿足にない地方に引越して、インターネットで見つかつた。まことに味氣ないことではあるが、技術の進歩の恩惠であるといふことはまぎれもないことであつた(またまた寄り道)。
 より入手しやすいものとしては平成十一年に出た中公文庫の『國語改革を批判する』がある。そこに収められてゐる大野晋氏の「國語改革の歴史(戰前)」を參照するとよい。ローマ字化への動き、かな表記への試みは、戰前からあつたことが記されてゐる。有名なものとしては、前島密の「漢字御廢止之儀」(慶應二年、最後の將軍徳川慶喜に建白)、福澤諭吉の「第一文字之教」(明治六年・ここには端的に「漢字をまつたく排するの説は願ふ可くして」と書かれてゐる)、原敬の「漢字減少論」(明治三三年)、田丸卓郎の『ローマ字國字論』(大正三年)、また「カナモジカイ」(大正十一年)などがある。それらは、いづれも漢字を使つてゐるから日本は發展しないのだ、當時の先進國ヨーロッパの文字で國語を表現することが正しいことだと信ずるところから生まれた暴論であつた。さてさうであれば、戰後進駐軍たちがローマ字を話題に出した時、彼らは色めきだつたことは想像できる。この期を逃すまいとして「國語改革」に邁進したのである。また、注意しなければならないのは、「國語改革」を躍起になつて推し進めたのは、前述のローマ字會やカナモジカイばかりでなく、文部省の官僚たちでもあつたといふことだ。彼らもこれを歡迎したのだつた。
 官僚は國益を考へるといふ神話は、ここでも裏切られてゐるわけで、「文部官僚は戦時中に日本語を南方に普及させようと躍起になっていたところで敗戦を迎えて、仕事がなくなってしまった。それで役人たちが首を切られては困ると考えた」(大野晋「日本語の将来」「一冊の本」平成十二年二月号)結果、進んで「仕事」を作つたといふのだ。


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『福田恆存全集』年譜補足1

2004年12月12日 17時03分56秒 | 文學(文学)
 未確認の情報ですが、文藝春秋から出てゐた福田恆存全集は、もう増刷はないとのこと。福田恆存の讀者にはすでに行き渡つたからといふのがその理由ださうですが、殘念ですね。今後、新たな出版社から新編の全集が出る可能性はあるものの、しばらくは「決定版」として『全集』が資料として殘されることになりますね。ですが、その年譜には、(?)といふ風に記されたところも多くて、あるいは講演や對談座談、インタビューなどの内容はほとんどなく、一部の研究者によつて知られてゐるばかりです。私自身、福田先生の著作では分からないところも、インタビューなどの話し言葉を通じて、ずゐぶん理解に役立つたといふ經驗があります。しかし、それは同じ時代に生きてゐれば、あの雜誌にこんなことも書いてゐた、あんなことも述べてゐたといふことが分かりますが、今後はそれは分からなくなつてゆくでせう。ですから、せめて出典ぐらゐは明らかにしておく必要があると思ひます。
 私は、かうした状況はすぐにでも改善されるべきであると考へまして、まづは自分自身のこれまでの調査の結果を公表することにします。もちろん、微微たる成果ですので、多くの研究者からは「一見の價値なし」との評を受けるかもしれません。が、「ないよりはまし」と考へて、公表します。願はくは、多くの贊同者を得て、互ひの「成果」を共有する機會としたいのです。そして、後には、それらをまとめて公刊したいと思ひます。
 「未だ福田恆存を知らない世代」からの福田恆存論を期待し、それへの材料を提供したいといふのが私の考へです。

少し大上段に構へすぎましたかな。ですが、大冗談ではありませんよ。

 生年から順に私の調べた範圍で、全集年譜の補足を行つていかうと思ふ。

昭和21年 35歳の年。これ以前のことについては未發見。
4月 「日本の風俗」 年譜では出典が(?)になつてゐるが、文章自體は『坐り心地の惡い椅子』に輯録されてゐる。
6月「職業としての作家」出典は(近代文學)になつてゐるが、2版から(人間)に訂正。初版の時から氣附いてゐたやうで、「訂正一覽」で訂正してある。
10月「僞善の文學」は、全集には文章が輯録されてゐないが、『現代作家』にある。「公開尋問」も、『平衡感覺』に輯録されてゐる。
12月「自問自答」も、『平衡感覺』に輯録されてゐる。

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言葉の救はれ――宿命の國語7

2004年12月08日 20時24分14秒 | インポート
 日本語の國際化といふといつも思ひ出すのが、「簡約日本語」である。昭和六十三年二月國立國語研究所は、國語を學習したい外國人への便宜を圖る目的で、それを發表した(以下は、福田恆存との共著もある土屋道雄氏の『日本語よどこへ行く』を參考にした)。その要諦は、「動詞・形容詞はいわゆる音便形でない連用形から出発し、それだけでしばらくは、動詞は『ます』に、形容詞は『あり』を介して『ます』に続け、活用は『ます』と『です』だけで使う。そのあと実際に多く使われる活用形から一つずつ増やしていくようにする」といふものだ。
 かうした理屈よりも、具體例を見た方が、その馬鹿馬鹿しさを御理解いただけよう。國立國語研究所の所長、野元菊雄氏が、次のやうな例を擧げてゐる。内容は「北風と太陽」である。

 (原文)まず北風が強く吹き始めた。しかし、北風が強く吹けば吹くほど、旅人はマントにくるまるのだった。遂に北風は、彼からマントを脱がせるのをあきらめた。

 (簡約日本語)まず北の風が強く吹き始めました。しかし北の風が強く吹きますと吹きますほど、旅行をします人は、上に着ますものを強く体につけました。とうとう北の風は彼から上に着ますものを脱ぎさせますことをやめませんとなりませんでした。

 一讀して不愉快にならない人はゐないであらう。「吹きますと吹きますほど」などといふところを見ると、これは日本語かと思はず叫びたくなるやうなひどい代物である。これが「日本語の國際化」だと、もし本氣で國立國語研究所が考へてゐるのだとしたら、即刻そんな團體は解散すべきである。いささか下品な物言ひであるが、こんなものを作るために税金が支拂はれるのは百害あつて一利無し、さう思はれる。
 原文は句讀點を含んで七一字、簡約日本語は同じく百七字である。文意は全く同じで文の長さが一倍半になるのは、それだけで言葉として失格である。ただでさへ口語は冗長になりやすいのに、さらに冗長になる。冗長といふことは説明的で、文章の勢ひがなくなつたといふことである。ましてや語尾が指定されるといふことは、文章が單調になり、その意味でも讀みづらくなる。斷言しても良いが、こんな文章からは(外國人の書いた日本語)文學はぜつたい生まれない。
 その上、こんな日本語を使ふ外國人なら、私たちの國語は聞きとれないし、讀めないといふことになる。なほかつ、私たちもそんな日本語を話し書く外國人の言説に耳を傾けようといふ氣も起りえない。さうであれば、皮肉なことに國際化を意圖した結果、國語と日本語とは分裂し國際化などといふのはいよいよ繪空事になるのである。
 こののち、簡約日本語なるものがどうなつたのかは、寡聞にして知らないが、ひそかにその出番を待つてゐるのであらうか。こんなものに出番が廻つてくる時が來たとしたら、その時こそ、本當に國語は亡びる。



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