言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

創業の迂遠

2023年01月25日 17時54分24秒 | 評論・評伝
 まづは戯言を一つ。
 タイトルに「ソウギョウノウエン」と打ち込んだら、「操業農園」と出てきた。びつくりしたが、次の瞬間笑つてしまつた。操業農園では意味が分からない。
 
 閑話休題。
 杉田玄白の『蘭学事始』には次のやうな箇所がある。
「浮華の輩、雷同して従事せしも多かれども、創業の迂遠なるに倦(う)みて廃するもの少なからざりし」。
 (訳)浮かれて華やかなことが好きな人は、付和雷同して『解体新書』の翻訳に従事した者も多かったけれども、新しいことを始める時の回りくどくて面倒なことに飽き飽きして辞める者も少なくなかつた。

 今、仕事をしてゐてさういふことを感じてゐる。創立されて間もなく二十年になる学校に勤めてゐるが、この間のことを思ふと、まさに「創業の迂遠」なるを感じる。これに負けてしまひさうになることしばしば。いつまで耐へられるか分からないし、もともと愚直に一つのことに専念できるタイプなのかどうかも心許ない。
 しかし、今日この杉田の言葉に再会して、何かしみじみ感じるところがあつた。

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誤解される「二元論」

2023年01月23日 07時36分08秒 | 評論・評伝
 ベルグソンの『物質と記憶』の第七版の序には「自分の立場ははつきり二元論だ」と書かれてゐる。そして、それは常識的な立場であるのに、哲学者からは理解されず評判が悪いとも書いてゐる。
 つまりは、物質といふものを、表象に還元してしまふ観念論も、あるいは物質といふものは我々の中に表象を生み出しつつも当の表象とはまつたく本性の異なるものだとする実在論も、共に誤りであるといふ考へである。それは端的に「『もの』と『表象』の中間に位置する存在なのである」と明言した。これが二元論である。
 私は、いまこのベルグソンの物質観を問題にしてゐるのではない(もちろん、その考へに異論があるわけではないが)。ではなく、二元論といふ考へ方は、かういふことであるといふことが言ひたいのである。
 ところが、新聞に出てくる知識人たちの文章や、テレビに出てくるコメンテーターの中には、時に「物質か表象(精神)か」といふやうな二者択一の意味で使ふ人が多い。例へば「日本経済の立て直しに必要なのは『増税』か『減税』かの二元論ではない」といふ言ひ方がそれだ。これなどは完全に「二者択一の問題ではない」と言へばいいことである。
 二元論とは、二つの別のものを同時にとらへるといふ意味である(ベルグソン的にはそれを「中間」といふ表現で言つてゐる)。
 善悪二元論、物心二元論などがその例である。善と悪は相対的なもので、同時に生まれてくるものである。しかし、それらは平行してゐる。その意味で右左、前後も二元論である。

 ところで、2012年の東京大学の現代文の入試問題に、このことをずばり訊く問が出題された。
 河野哲也の『意識は実在しない』が出典である。
「ここから第三の特徴として、物心二元論が生じて来る。二元論によれば、身体器官によって捉えられる知覚の世界は、主観の世界である。自然に本来、実在しているのは、色も味もにおいもない原子以下の微粒子だけである。知覚において光が瞬間に到達するように見えたり、地球が不動に思えたりするのは、主観的に見られているからである。自然の感性的な性格は、自然本来の内在的な性質ではなく、自然をそのように感受し認識する主体の側にある。つまり、心あるいは脳が生み出した性質なのだ。」
 問の一番にかうある。
「『物心二元論』とあるのはどういうことか、本文の趣旨に従って説明せよ」である。あくまでも読解問題なので、知識を問うてゐるわけではない。しかし、この問題、生徒にはなかなかの難問である。なぜか。相反するものを同時に捉へるといふことが理解できないからである。これは多分日常での彼らの言語生活が関はつて来るのだらうと思はれる。
 この場合で言へば、本文には主観と自然(客観)とは平行してゐると明確に書かれてゐるのに、生徒たちはそれを交差させてしまふのだ。「美しい自然」があるとすると「美しい」と思つてゐるのは主観。「自然」は物質だからそこから「美しさ」が滲み出て来るのではない。それなのに生徒は「美しい自然」といふ実体があると思つてしまふ。自然を見て美しいと感じたのだから「美しい自然」があると考へたのだらう。しかし、それは主観の作用である。
 東京大学が何を狙つて出題したかは不明だが、私には良問であると思はれる。相対的な二者を同時に理解するといふことは、東京大学の現代文の出典歴史を貫く一大テーマである。
 
 
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筒井康隆『モナドの領域』を読む。

2023年01月22日 10時26分59秒 | 評論・評伝
 
 今年最初の小説。じつを言ふと年末から読み始めてゐたが、年始になつて仕事が始まり、それをまとめる余裕がなくなり、今日になつてしまつた。読み終へて十日ほど経つので、もうまとめるといふ気力もない。ただ面白かつたといふ思ひである。
 「モナド」とは、空間を構成する単位を表す概念のやうだが、それ自体は構成要素を持たないものであるといふ。しかし、素粒子が原子を作るやうに、素粒子同士が関係を持つやうなものであるのに対し、モナドは一切の関係を持たない独立的なものであるとされてゐる。
 この世界はそのモナドの領域である。ところが、現代、別のモナドとの重なりが起きてしまつた。その証拠がある事件である。この小説の冒頭に書かれたバラバラ殺人事件が、その「重なり」の証拠であつた。もちろん、読者はそんなことは知らされない。筒井らしい展開の妙である。
「重なり」を解消するためにに、現代日本に神が降臨された。人々は奇異の目で彼を見る。もちろん、ある個体に憑依して登場するから、人間にしか見えない。それで人々は彼を試さうとする。
 警察が動く、マスコミが動く、学者が動く、そして司法の場面に移る。裁判官とのやり取りが巧みだ。信者が生まれる、テレビでは特集が組まれる。宗教家や哲学者との対話が面白い。往年の『文学部唯野教授』を読んでゐるやうであつた。
 途中で「トマスアクィナス君がイエスを認めてゐなかつた」と神は語るが、それはどういふことか気になつた。かういふところは出典が欲しいところだ。
 滋味はないけれども、私はかういふ小説も好きである。
 
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正月の談議から――吉本隆明の福田恆存からの影響

2023年01月09日 21時43分37秒 | 評論・評伝
 正月の談議(承前)

 吉本隆明は福田恆存のことを書かなかつた。このことをずつと不思議に思つてゐた。大学時代に、そのことについて先輩と議論したこともあつたが、両者の関係については何も知ることはできなかつた。
 ところが、神道氏がかう言つた。
「別冊宝島の『保守反動思想家に学ぶ本』に吉本は福田の訳した『アポカリプス論』を読んで影響を受けたと書かれてゐた。」

 この本は、1985年に出たMOOKで、私も読んでゐた。が、それは記憶になかつた。そこで、愛知に戻つて来て、書棚の奥から今日やうやく探し当てた。
 すると149頁にかうあつた。呉智英の言葉である。
「福田はだから、吉本にも影響を与えているわけですよ。吉本の『マチウ書試論』ってのは明らかに今言った『アポカリプス論』に触発されて出てきたもんだから。」

 すると、真宗門徒氏は、吉本の『マチウ書試論』にある「関係の絶対性」といふ言葉は、福田の影響ではないかと、これまた卓抜なコメントを語つた。

 福田恆存の、日本の現状を批判する視点が、大衆民主主義批判である。その背景にあるのはマルクス主義であり、その一回り前にあるのはキリスト教である、といふのが呉智英の論旨である。『アポカリプス論』について「そこにある『憎悪の構造』を、福田はずっと批判していた」と書いてゐるが、それには異論があるが、今日はここまでとする。

 福田恆存の吉本隆明への影響について、呉氏は明言してゐる。このことを記録しておく。

 
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二人の良寛

2023年01月05日 09時35分43秒 | 評論・評伝
 良寛と言へば、一般には江戸後期の僧侶のことが知られてゐる。吉本隆明や水上勉の著作にもあるほどで、俳人・漢詩人としても知られてゐる。今、調べると辞世の句は「うらをみせ おもてを見せて ちるもみじ 」であつたと言ふ。

 一昨日の宗教談議の中で、鎌倉時代の既存仏教は、いはゆる「末法の時代」に何をしてゐたのだらうかといふ疑問が湧いた。そこでふと口に出て来たのが「良寛といふ僧侶がゐたやうな気がする」といふつぶやきだつた。しかし、記憶も曖昧で確かなことは言へなかつた。
 そこで今朝調べてみると、確かに鎌倉時代に「良寛」といふ人物がゐた。その方はむしろ「忍性」と言ふ名で知られる人で、(鎌倉の)極楽寺忍性と言はれてゐる。真言宗とも律宗とも異なる真言律宗と呼ばれる宗派である。
 貧民やハンセン病の患者の救済を目指して活躍してゐた。ちなみに言へば、大阪の四天王寺の石鳥居は、この良寛の築造とのこと。次の機会に見てみたい。
 良心の疼きにしたがつて、既存仏教の側からも救済の道は示されてゐた。鎌倉時代は、新仏教ばかりが取り上げられるが、やはりそれだけはない。
 ちなみに言へば、この話題が出た折に、家永三郎の鎌倉仏教革命説とそれを批判する黒田俊雄の権門体制論とが示された。前者は古代から中世へと、貴族から武士の時代へと、大きな転換点を示すもので、新仏教の勢力の大きさ、あるいは意義の大きさを示すものである。一方、後者はやはり当時もまだ旧体制が大きく支配してゐたと見るものである。仏教的なそれを「顕密体制論」と言ひ、その背後にある社会観を「権門体制論」と言ふ。私が大学時代に学んでゐた本多隆成先生は、その黒田俊雄門下生で、「権門体制論」とは40年振りに聞いた言葉で、懐かしかつた。その本多先生、最近『徳川家康の決断』といふ本を出された。
 

 
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