ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(197) 高御位山と牛島

2015-04-24 11:12:06 |  ・高砂市阿弥陀町

  高御位山の神様と牛山の神様との「けんか」の伝承です。

 *文中の牛島は、高砂沖に浮かぶ牛島(ほうらく島)のことです。

 現在、地図では上島(かみじま)となっています。

    高御位山と牛島

 高御位山は、このあたりで一番高い山(304メートル)です。

 ところが、大昔、それほど高い山ではなく、牛山という山と仲良く並んでいたということです。

 ある時のことです。

 高御位山の神様と牛山の神様が大けんかをしました。

 その時、牛山の神様は負け、はるか沖へ投げ飛ばされてしまいました。

 この時から、高御位山の神様の勢いが、一段と強くなりました。

 そして、ついには、この地方で第一の高い山となったのでした。

 一方、負けた牛山は、海の中にポツリと、とり残され「牛島」と呼ばれるようになりました。

 その上、形も、背がだんだん低くなり「ほうらく」をふせたような形成りました。

 (ほうらく・・・豆などを炒る時に使う土製の器)

 いまでも、播磨灘に、とりのこされるように浮かんでいます。

 「ほうらく島」は、この牛島のかわりはてた姿だということです。(no2774)

  *『郷土の民話(東播磨編)』(郷土の民話・東播地区編集委員会)参照

  *写真:高砂港から見た上島(かみじま)

    昨年の秋の夕暮れ時撮影

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高砂市を歩く(196) 「おこぜ」と高御位山

2015-04-24 08:13:33 |  ・高砂市阿弥陀町

 高御位山の山麓の集落、阿弥陀町北山・長尾・地徳を散策します。

 その前に、高御位について少し書いておきます。

   おこぜと高御位山

 標高304メートルの「高御位山」は山型が富士山に似ているため「播磨富士」とも呼ばれます。

 「高御位」とは神霊のいる御座のことで、ふる里の先人は、この「高御位山」自体を神様として崇拝しました。

 また、播磨灘の航行上重要な目印となったので、漁業者は山の神様が喜ばれたと伝えられる「おこぜ」を山頂の伺へ供える風習を大正時代まで続けていました。

  「おこぜ」を供える

 むかし、高御位山の頂上には大きな灯ろうがありました。

 この灯は、播磨灘で漁をする人々に灯台の役割を果たしていました。

 ですから、漁師は海からあがると感謝の心をこめて「おこぜ」を高御位神社に供えました。

 では、どうしてあの醜い「おこぜ」をお供えたのでしょう。

 「おこぜ」は、たいそう美味しく山の神は「おこぜ」が大好きでした。そのため、おこぜをお供えするとたいそうよろこばれる」ということでした。

 また、病気をした時、願をぜひ聞きとどけてほしい時など、おこぜを持っておまいりすると、必ず、かなえてくださいました。

 大正5年に刊行された『印南郡誌』を読んでおきます。

 「・・・(江戸時代の終わりから明治時代の初めの頃)までは、沢山の船頭がこの高御位山へ参ってきた。

 そうしてどうした理由か、この時きっとおこぜを持ってきたという・・・」(no2773)

 *『ふる里の山名復活(松本文雄著)』(創出版)、『印南郡誌』参照

 *写真:おこぜ

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