大河・かこがわ (1)
「加印地域」の歴史の話をしよう
「ふるさと」という言葉は、それだけで「詩」です。
子どものころの思い出をいっぱい詰め込んだ言葉です。
私は、この故郷(ふるさと)に、加古川市・高砂市・稲美町・播磨町を頭に描いています。
私的なことで申し訳ありませんが、私の中学校時代(昭和30~32年)の加古川市の人口は5万人ぐらいでした。
現在は26万人を超えていますから、5倍以上に膨れたことになります。
多くの人は、加古川市を「ねぐら」にして、神戸・大阪・姫路方面に通っておられます。
そのためか、「加古川市」が、好きでたまらない故郷であると考える人が少ないようです。
それに、「加古川市」特に、「加古川の歴史」のことが、あまり語られていないように思えなりません。
ひどい場合「加古川市に誇れる歴史なんてあるの?」とまで言われる人がおられます。
それが、あるんですよ。加古川市は貴重な歴史の缶詰のような街です。
もちろん、この事情は高砂市、稲美町、播磨町も同じです。
加古川市・高砂市・稲美町・播磨町は、かつて旧加古郡・印南郡に属しており、加印地域(かいんちいき)呼ばれ、一つの経済・文化圏でした。
加印地域の歴史は、語られていないだけです。そんな歴史を訪ねましょう。
テーマを「大河・加古川」としました。(no4712)