国道2号線は、渋滞続き
〈新ひろかずのブログ・19〉では、次のように書きました。
・・・高度経済成長期以降、市内を通る国道二号線の交通の渋滞は激しく、昭和43年度調べでは500メートル以上の渋滞が西行き446回、東行き401回、あわせ手847回もあり、通行車輛も一日4万台に近く、ますますふえる傾向となりました・・・・
『写真集・加古川高砂の昭和』に、当時の交通渋滞の状態の写真と説明があります。紹介しておきます。
〈対面通行だった国道2号線〉
食堂2号は、昭和40年代に入ると交通量が増え、渋滞が慢性化するようになってきた。
その対応として昭和42年12月より加古川橋東詰交差点から加古川平野交差点までの間東行き一方通行とした。
写真は、一方通行される前、対面通行と渋滞のようすを伝えている。
*写真:昭和43年撮影(提供=加古川市教育委員会)