大腿骨 マル折レノ 秋深キカナ
92歳(平成4年)夏の終わりごろから、耕衣は右足の爪が痛むようになりました。
痛風の症状かと心配になり、家人に付き添われ近所の医院を訪ねて診てもらったところ、痛風ではなかった。
そこまではよかったのですが、帰り道、家近くまで来て、歩道の上にごくゆつくりと倒れてしまいまいました。
春には、ときどき眩暈(めまし)に襲われたことがあり、その類のことかと思ったのですが、助けられても立ち上がれません。
近くの人もかけつけ、救急車が来て病院へ。左大腿骨(たいたしこつ)骨折とわかって、そのまま入院し、金属製支柱を肉の中に埋めこむ手術となりました。「大腿骨 マル折レノ 秋深キカナ」 と、三ケ月の入院生活を経験することになってしまいました。
入院期間中も耕衣は俳句を作り続け、その数は三百近くになりました。
さいわい手術は成功し、退院後、正坐などはできなかったのですが、階段の上り下りをふくめ、ほぼ以前と変わらぬ生活を送れるようになりました。
踏切の スベリヒユまで 歩かれへん
耕衣を支えたのは、忙しさでした。たくさんの客もありました。
この忙しさが妻ユキエの悲しみを忘れさせてくれました。
もっとも、三ケ月の入院生活、それに足に異物が入っているという意識もあって、散歩の足はのびなくなりました。
そして、こんな句が出来上がりました。
「踏切のスベリヒユまで歩かれへん」
何でもない句ですが、注釈が要ります。
耕衣の家から踏切までは近いが、ゆるやかな上り坂です。その踏切近くの線路ぎわに、耕衣の好きな雑草のスベリヒユがふんばっています。
そこまで歩けなくなったというのですが、何でもない雑草が大げさに詠(よ)みこまれたのは、そのすぐ先に妻ユキヱの好物である天津甘栗(てんしんあまくり)を売る小店があり、午後の散歩に出ようとする耕衣は、ときどきユキヱにねだられました。
「栗買うて来て」これに対し、「おう」
スベリヒユとは、その短いやりとりをいつも思い出させてくれる対象であり、妻への想い出の句でした。(no3466)
*写真:「スベリヒユ」の踏切(山陽電車踏切)