◇阿弥陀一尊板碑◇
まず、向かって右の小さい方の板碑に注目して欲しい。写真では、はっきりしないので、拓本(写真中)で確認して欲しい。
組み合わせ式石棺の底石に、阿弥陀を表わす梵字を刻んでいる。
そして、左中央に弘安四年(1281)の銘がある。
弘安四年は、二回目の元寇(弘安の役)の年である。
随分古い年代の板碑である。
◇阿弥陀三尊板碑◇
この板碑に向かって左の大きな板碑(写真下)は、組み合わせ式石棺の底石に梵字で阿弥陀三尊を刻んでいる。
時代を確認できる銘がないが、右の板碑と同じ形式で彫られており、同年代の板碑としてほとんど間違いがないと思える。
地蔵堂の奥にはこれらの板碑だけでなく、板碑や石仏の残欠がたくさん集められている。
どれも時代を感じる。それにしても西山から里の山条にかけての高台に古い時代の石造物が多いのには驚かされる。
これは何を意味するのだろうか。想像して欲しい。
*拓本は、『加古川市史(第七巻)』より引用