ウィキペディアから「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の説明の一部を読んでおきます。
廃仏毀釈
一般に「廃仏毀釈」と言えば、日本において明治維新後に成立した新政府が慶応4年に発した太政官布告(通称、神仏分離令)、明治3年に出された政策によって引き起こされた、仏教施設の破壊などを指す。
神仏分離令等は、神道と仏教の分離が目的であり、仏教排斥を意図したものではなかったが、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)とも呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまった。
明治4年(1871)ごろ終息したが、影響は大きかった。
さらに、1871年(明治4年)正月5日付太政官布告で寺社領の上知令(あげちれい)が布告され、境内を除き、寺や神社の領地が国に取り上げられる。
これにより経済的な基盤を失い、一層困窮し荒廃することになった。(以上、「ウィキペディア」より、一部文章を変えています)
消えた寺々
上地令によって寺領を奉還し、経済的理由もあったのか、加古郡では次の27ヶ寺が廃寺に追い込まれました。
この27ヶ寺のうちに、播磨町関係の次の寺院が廃寺となりました。
海禅寺 曹洞宗 古宮村
願萬寺 真言宗 古宮村
(*薬師堂を残しての廃寺)
松元寺 真言宗 二子村
妙楽寺 真言宗 野添村
(*明治43年無量寿院と合併)
東円寺 真言宗 野添村
海光寺 曹洞宗 野添村
喜雲寺 曹洞宗 古宮村
龍玄寺 曹洞宗 古田村
*写真:願萬寺跡(薬師堂・古宮)
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