ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(196) 「おこぜ」と高御位山

2015-04-24 08:13:33 |  ・高砂市阿弥陀町

 高御位山の山麓の集落、阿弥陀町北山・長尾・地徳を散策します。

 その前に、高御位について少し書いておきます。

   おこぜと高御位山

 標高304メートルの「高御位山」は山型が富士山に似ているため「播磨富士」とも呼ばれます。

 「高御位」とは神霊のいる御座のことで、ふる里の先人は、この「高御位山」自体を神様として崇拝しました。

 また、播磨灘の航行上重要な目印となったので、漁業者は山の神様が喜ばれたと伝えられる「おこぜ」を山頂の伺へ供える風習を大正時代まで続けていました。

  「おこぜ」を供える

 むかし、高御位山の頂上には大きな灯ろうがありました。

 この灯は、播磨灘で漁をする人々に灯台の役割を果たしていました。

 ですから、漁師は海からあがると感謝の心をこめて「おこぜ」を高御位神社に供えました。

 では、どうしてあの醜い「おこぜ」をお供えたのでしょう。

 「おこぜ」は、たいそう美味しく山の神は「おこぜ」が大好きでした。そのため、おこぜをお供えするとたいそうよろこばれる」ということでした。

 また、病気をした時、願をぜひ聞きとどけてほしい時など、おこぜを持っておまいりすると、必ず、かなえてくださいました。

 大正5年に刊行された『印南郡誌』を読んでおきます。

 「・・・(江戸時代の終わりから明治時代の初めの頃)までは、沢山の船頭がこの高御位山へ参ってきた。

 そうしてどうした理由か、この時きっとおこぜを持ってきたという・・・」(no2773)

 *『ふる里の山名復活(松本文雄著)』(創出版)、『印南郡誌』参照

 *写真:おこぜ

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