高御位山の山麓の集落、阿弥陀町北山・長尾・地徳を散策します。
その前に、高御位について少し書いておきます。
おこぜと高御位山
標高304メートルの「高御位山」は山型が富士山に似ているため「播磨富士」とも呼ばれます。
「高御位」とは神霊のいる御座のことで、ふる里の先人は、この「高御位山」自体を神様として崇拝しました。
また、播磨灘の航行上重要な目印となったので、漁業者は山の神様が喜ばれたと伝えられる「おこぜ」を山頂の伺へ供える風習を大正時代まで続けていました。
「おこぜ」を供える
むかし、高御位山の頂上には大きな灯ろうがありました。
この灯は、播磨灘で漁をする人々に灯台の役割を果たしていました。
ですから、漁師は海からあがると感謝の心をこめて「おこぜ」を高御位神社に供えました。
では、どうしてあの醜い「おこぜ」をお供えたのでしょう。
「おこぜ」は、たいそう美味しく山の神は「おこぜ」が大好きでした。そのため、おこぜをお供えするとたいそうよろこばれる」ということでした。
また、病気をした時、願をぜひ聞きとどけてほしい時など、おこぜを持っておまいりすると、必ず、かなえてくださいました。
大正5年に刊行された『印南郡誌』を読んでおきます。
「・・・(江戸時代の終わりから明治時代の初めの頃)までは、沢山の船頭がこの高御位山へ参ってきた。
そうしてどうした理由か、この時きっとおこぜを持ってきたという・・・」(no2773)
*『ふる里の山名復活(松本文雄著)』(創出版)、『印南郡誌』参照
*写真:おこぜ
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