今日(4/11)の神戸新聞の朝刊に次の記事があります。史料として掲載させていただきます。
宮本武蔵の養子・伊織が寄進
泊神社の棟札、加古川市文化財
兵庫県加古川市教育委員会は、剣豪宮本武蔵の養子、宮本伊織が寄進したとされる泊(とまり)神社(同市加古川町木村)所蔵の棟札(むなふだ)2枚を、市文化財に指定した。武蔵らの戦国時代末期の様子や、荒廃していた同神社の復興経緯などが記され、市教委は「当時の地域社会や文化を知ることができる重要な一次資料として、学術的価値が高い」としている。(斉藤正志)
伊織は現在の同県高砂市米田町出身とされる。若くして明石藩の家老になり、藩主小笠原忠真の移封に伴って豊前小倉へ。島原の乱で侍大将として戦功を挙げた。
泊神社は伊織ら一族の氏神で、小倉藩の筆頭家老だった伊織が浄財を寄せて1653年に再建した。
棟札は建築や修繕の記録、記念として記す木の札。泊神社の2枚も再建時に作られ、現在の本殿と神楽殿に当たる本社と舞堂に取り付けられていたという。高さ170センチ、幅50センチ、厚さ2センチで、一般的な棟札より大きい。
表面には、火災や水難がないことを願う「火不能焼 水不能漂」の文字を記載。願主として、伊織らの名が記されている。
裏面には2枚とも527字が記載され、うち525字が同じ文字。伊織が武蔵の養子となり、宮本姓を名乗って明石藩主に仕えたことが詳しく書かれ、伊織の武蔵への思いなどもしたためられているという。
市教委文化財調査研究センターは「伊織が故郷への思いを込めて神社を再建したことや、武蔵、主君、父母への感謝なども記されている。武蔵のことを知る上でも大変貴重な資料」とする。
同神社の小西康平宮司(29)は「先人が大事に保管してきたおかげで、文化財の指定を受けられた。次代に大切に引き継ぎたい」と話した。(no5054)