北山村と国岡新村の水争いについてみていますが、江戸時代、この二つの集落はともに入ヶ池郷(いけごう)です。
現在の入ヶ池郷は江戸時代と少し異なっていますので、「入ヶ池郷」について、少し調べておきましょう。
入ヶ池郷(いけごう)
「・・・江戸時代には同じ川筋、あるいは水源を同じくする流れによって溜池をつくり、用水をとる村々を川郷(かわごう)といいます。
一つの池を大きな用水源とする村々を池郷(いけごう)というのと同じです・・・」
太字のヵ所に注目ください。
江戸時代、国岡村と北山村は同じ(入ヶ池の)池郷でした。
明治時代周辺の開発が進み、新たに水を確保するために、長府池・満溜池がつくられました。
菊徳(中村)・下沢(中村)・金守(北山)もこれらの水を使用するようになりました。
ですから、現在、北山・国岡・菊徳・下沢・金守は同じ入ヶ池郷として、入ヶ池、長府池、満溜池、そして水路の維持管理を共同して行っています。
長府池・満溜池については後に、もう少し説明をしましょう。
現在、入ヶ池郷の内、緑に彩色したカ所の池および水路の管理は「入ヶ池郷土地改良区」が行っており、赤く彩色した地区は北山水利が単独で行っています。