大歳家文書・新野辺町内会文書を紹介していきますが、整理されての紹介ではありません。時代・内容とも順不同です。後日、整理します。
最初に、『加古川市史(第二巻)』の「新野辺村の商工業」(p499)からの紹介ですが、記事は『新野辺の歴史(第一巻)』再掲載です。
「新野辺村明細帳・寛延三年(1750)」より
作間稼ぎ・出稼ぎ(大坂酒屋の米踏かせぎへ)
人数 1075人
内男 544人
女 531人
大工 24人 農具鍛治 3人
樽屋 1人 医者 1人
作間商人 22人
と、あり51人の職業が記録されています。
22人の作間商人は、味噌・タバコを売り、木綿小売りが6人、そのほか籠振りの零細な行商人がいたことが分かります。
次に、明細帳から右のか所を読んでおきます。
(解読)
男かせぎ耕作之間ニハ干鰯筵打申候、又冬春作間ニ大坂酒屋米踏挊ニ九拾人斗(ばかり)も参り申候(もうしそうろう)、尤五人組迄断参申候 *挊(かせぎ)
(意味)
新野辺の百姓は農作業の合間に、干鰯(ほしか・農業のための肥料)の藁袋つくりに精を出しています。<o:p></o:p>
そして、冬から春にかけての農閑期に大坂の酒屋に米踏作業に出かけます。
出稼ぎにあたっては五人組迄届けています。
女かせぎについては、「解読」だけを紹介しておきます。
(解読)
女稼耕作之間ニハ妻子共干鰯筵縄又ハ浜之宮松林落葉山守とかきわけ浜辺草芝薪かせぎ木綿かせぎ致申候者も御座候
ここで注目したいのは、男かせぎで「90人ばかりが大坂の酒屋へ米踏稼ぎに出かけている」ことです。米踏と言うのですから、酒の仕込みの準備工程である精米作業(単純労働)のことと思われます。