魚町倶楽部は、内、外装に贅を尽くした建物は、現在もなお華やかだった「明治文化」の雰囲気を伝えています。
この建物については、『近代の歴史遺産をたずねて』(神戸新聞総合出版センター)に説明がありますのでお借りしました。
文体・内容等、少し変えています。
三菱製紙・魚町倶楽部
写真は、魚町倶楽部(クラブ)です。
かつて、職員用の娯楽施設だったため、倶楽部と呼ばれていますが、元は明治37年(1904)に建てられた外国人技師長・シェイの社宅です。
木造二階建ての瓦屋根を抜いた洋館のシンボル「三つ穴の煙突」や、優美なタイル、手吹きガラス窓、敷々の室内装飾のデザインと日本庭園、庭木がうまくマッチ、和洋折衷のバランスが美しい建物です。
当時、近くの稲荷神社の傍にあったのをシェイが退職後、工場から少し離れた現在の魚町へ移築しました。
同社は明治31年の創立で、その前身は少神戸製紙所と呼ばれていました。
経営者の米国人兄弟から創業者の岩崎久弥が譲り受け、神戸で引き継いだのですが、水不足のため、豊かな加古川のある高砂へ移転することになり、それを強く推薦したのがシェイでした。
昭和40年代ごろといえば、高砂には娯樂施設が少なく、たまたま館内にあったビリヤードは、職員から引っ張りだこだったといいます。
やがて、娯楽の多様化で利用者は減少し、傷みが目立ち、2003年に一時閉鎖されましたが、現在、屋根や外壁を張り替える大規模改修を経て生まれ変わりました。(no2846)
*写真:魚町倶楽部
*『近代の歴史遺産をたずねて』(神戸新聞総合出版センター)参照