寛延元年(1748)に作成された駒井家に伝わる由緒書には、さらに詳しく、次のように書かれています。
・・・駒井氏の先祖はもと武士で東阿弥陀村に帰農した篤農家でしたが、道誓が高御位の東の中塚山麓を開墾して正保二年(1645)から同じ心を持つ十余家と共に移り住みました。
新田場は、三年間は年貢免除地であったが「隠田」でないことを示すために姫路藩主に願い出て稗10石を貢納しました。
(*隠田:(かくしだ・おんでん)・・・中世・近世に隠して耕作し、年貢等を納めない土地の事)
3年たって検地を受け、37石の村高を持つ北山新村となりました。
また、草むらに井のかたちがあって、水がよかったので掘り広げ堤をつくって溜め池もつくりました。
駒井家北山新村の庄屋に
道誓は、慶安二年(1649)に亡くなりましたが、その子・源太郎が家を継ぎ、領主から庄屋役を命じられました。
道誓は、晩年、理兵衛と称したので駒井家では当主は代々、源太郎を名乗り、隠居後は理兵衛と称しました。
寛延元年が道誓の百回忌に当たるので墓を修理し地蔵菩薩の石像と顕彰碑の石塔を建てました。
元文二年(1737)の北山新村明細帳には正保三年(1646)、慶安五年(1652)、承応二年1653、寛文九年(1669))の検地帳が残されています。
それによれば、第一次榊原時代の慶安五年(1652)から北山新村と称するようになったと記されています。(no2779)
*『高砂市歴史(第二巻)、通史編近世』参照