4日(土)、竜山1号墳の撮影に出かけました。
昼すぎでした。雨は上がり、桜が覆いかぶさるような「竜山1号墳」でした。
竜山1号墳
被葬者は、石の宝殿の製作所事情を知っている?
高砂市教育委員会の調査によれば、山腹斜面にずり落ちるばかりに置かれていた石棺身部分のすぐ上部に小形の石室が確認されました。
石棺の大きさは、蓋の大きさで、幅0.6メートル、長さ1.18メートル、蓋と身の高さをあわせると0.62メートルです。
この古墳は生石神社の境内でもあり、石宝殿と無縁とは思えない位置にあります。
この古墳の時期について、棺形から7世紀中頃までとされていますが、長さが1メートル少々の小形棺で、場合によっては火葬骨が納められていても不思議のない大きさです。
火葬でなくとも骨化した遺体でないと納まりません。
この種の棺で、子供を納めた事例は知られていません。大人を納めた石棺です。
場合によると8世紀に入っている可能性もある古墳とも言われています。
とすると、すでに奈良においては都の作られていた時代です。
この棺に納められ、この地にわざわざ葬られた人物は、とのような生涯を送ったのでしょう。
小さくとも竜山の伝統的な石棺に納められ、竜山の地に葬られている以上、この人物は、この地方では中心的な人物の一族であろうと想像されます。
この古墳が作られた時には、すでに「石宝殿」が放棄されて幾年か経っていますが、この人物は石宝殿製作時を記憶している人かもしれません。
この人物の親か祖父があの石宝殿製作工人の中心的人物であった可能性は強と想像できるのです。
楽しい話です。(no2753)
*『高砂史(第一巻通史編)』参照
*写真:竜山一号墳の石棺と蓋