右は、明治29年の地図です。明治の二俣集落を想像してください。
あまりの変わりように、想像することができないかもしれません。
ちなみに、現在二俣は1176戸で、明治14年と比べて実に18倍の戸数です。
二俣探訪(一部)終了
さて二俣の歴史(一部)をきょうで、一度閉じさせていただきます。理由は、種切れです。
二俣は、古文書等ふしぎなほど残されていない地域です。
でも、探検すれば何かがみつかり、見えてくるものです。近隣の地域の歴史からも推測できます。
1~2ヶ月お休みをいただいて、資料集めをします。
二俣の多くの方にお世話になりました。ありがとうございました。
大池と二俣の歴史
ただ、一つ宿題を出しておきたいと思います。
2部では、その宿題の答から始めたいと思います。もちろん、わからないままで終わる可能性がたかい。
二俣の歴史においてキー・ワードは水でした。
水の無い時は、食料を求めて、おろおろさ迷ったことでしょう。
水が十分にあった時は、村人の喜びははじけ、祭りのざわめきも一段と大きかったことでしょう。
二俣の大部分は、高台にあり天候にもろい集落でした。
二俣の水がめは大池でした。
この二俣のキーワードになる大池の歴史を知りたいのです。
集落が先か、大池が先かは知りませんが、二俣のお百姓の生活は、大池と共にあったことはたしかです。
二俣集落の歴史は、江戸時代をはるかにさかのぼります。
大池もとうぜん江戸時代をさかのぼった時代に造られました。
どこまで、遡ることができるのでしょうか。
野口の駅ヵ池の場合、奈良時代までさかのぼります。
さて、大池の場合はどうでしょう。