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11月の散歩
11月も一日10.000歩を歩くことができました。最近は、足が軽く感じるようになっています。嬉しいです。
ただし、2回(午前・午後)に分けて歩いています。1回で10.000歩は少し無理ですので・・・・
1(木) 11.444歩 自宅~長田公園~鶴林寺・加古川東岸まで
2(金) 13.210〃 自宅~長田公園・自宅~ブックオフ
3(土) 11.639〃 神戸布引の滝・ハーブ園周辺
4(日) 10.490〃 自宅~長田公園・平荘湖遊歩道
5(月) 12.286〃 自宅~稲屋福田寺・加古川東岸~自宅
6(火) 10.303〃 自宅~長田公園・鶴林寺周辺
7(水) 10.615〃 別府鉄道野口線跡・自宅~加古川東岸~大崎
8(木) 10.951〃 自宅~長田公園・平荘湖遊歩道
9(金) 10.999〃 日岡山散策・自宅~若宮小学校
10(土) 10.552〃 自宅~長田公園・寺家町(西国街道)散策
11(日) 10.462〃 自宅長田公園・平荘湖遊歩道
12(月) 10.958〃 自宅~長田公園・自宅~稲屋福田寺
13(火) 11.436〃 天満大池遊歩道・加古川東岸まで
14(水) 11.698〃 自宅~長田公園・別府鉄道跡散策
15(木) 11.175〃 奥津渓谷を歩く・加古川駅~自宅
16(金) 11.119〃 自宅~市民会館~加古川駅~自宅
17(土) 10.203〃 神戸散策・自宅周辺
18(日) 11.063〃 自宅~長田公園・平荘湖遊歩道
19(月) 10.353〃 自宅~長田公園(2往復)
20(火) 10.606〃 自宅~長田公園・喫茶店(ピッケルまで)
21(水) 10.665〃 自宅~福田寺・別府鉄道跡散策
22(木) 10.647〃 自宅~長田公園・自宅~マックスバリュー
23(金) 11.123〃 自宅~長田公園・平荘湖遊歩道
24(土) 11.240〃 別府公民館~海洋センター・靴のヒラキ周辺
25(日) 11.167〃 自宅~大崎・自宅~喫茶ピッケル
26(月) 11.191〃 自宅~JR加古川駅・自宅周辺
27(火) 10.385〃 自宅~長田公園・平荘湖遊歩道
28(水) 12.081〃 自宅~加古川市民病院往復
29(木) 10.580〃 自宅~大崎・自宅周辺
30(金) 11.403〃 稲屋福田寺~自宅・平荘湖遊歩道(no4567)
播州大橋からの風景
きのう(10/4)は、散歩には最適の日よりでした。
空気がひんやりしているんです。秋本番ですね。
自宅から2キロほど離れた加古川にかかる明姫幹線(播州大橋)の歩道を東から西(高砂)の方向に歩いています。
中央あたりで、マンガ『よつばと』をとりだし、絵を確認しました。この場面の絵であることはわかるのですが、少し違っています。
対岸の南(左)に鉄塔が描かれています。が、鉄塔は写真のように北側(右)にあります。
そして、対岸の右側に大きなビル(スーパー)がありますが、実際は南側(左)です。
少しだけ違って描かれていますが、それにしてもこんな景色をマンガの中で見つけるのは楽しい散歩です。
きょうは知らない間に、14.770歩も歩いていました。
なお、この『よつばと』の作者の少年時代のお住まいがわかれば、そのあたりを歩いてみたいですね。
きっと、あずまさんが、子どものころに遊んだ近所の風景が描かれていることでしょう。
次回から新しい企画をはじめます
先にも書いたように、この漫画の主人公の「よつば」の生活は楽しいです。孫(9歳)とどこか似ています。
「よつばとの風景」で取り上げた高砂の風景は、他にもたくさんあると思います。が、このシリーズは、いったんこれで終了です。
『よつばと』のことをお知らせくださいました。Hさんありがとうございました。楽しい散歩になりました。
次号から新しい企画をはじめます。(no3740)
*『よつばと(10巻)』より
*絵と写真:播州大橋からの風景
◇きのうの散歩(14.770歩)
米田の歩道橋
歩道橋なんてどこにでもありまよね。
でも、『よつばと(10 巻66話・おつかい)』に登場する歩道橋は、どこか見覚えがあります。
最近よく志方町へ行きます。帰りにみる歩道橋そっくりなのです。
高砂市立図書館のすぐ北の歩道橋
場所を説明しておきます。
高砂市立図書館のすぐ近くです。
西隣に県道43号線の高砂北条線が走っています。マンガに描かれている歩道橋は、そこから10㍍ほど北に架かる歩道橋です。
北から南を見た構図です。
きのう(3日)の午後、写真を撮りに出かけました。
やはり、思い過ごしではありませんでした。
まさに、マンガに描かれている歩道橋でした。
ただ、歩道橋の東(右)の登り口は、絵では手前に描かれていますが、北側は道になっており、実際は南側です。
写真では、その部分は、はみ出してしまうため撮影できていません。
リアルです。
「作者が、ここの歩道橋ですよ」と主張するために、歩道橋の向こう側の鉄塔も描いておられているようです。
歩道橋ですから、どこでもよいと思うのですが、作者の「あずまきよひこ」さんのこだわりを感じます。
きっと、この歩道橋を何度も渡られたのでしょうね。
あるいは、あずまさんのお住まいがこのあたりではなかったかとも想像してしまいます。(no3739)
*絵:『よつばと(10 巻第66話・おつかい)』(電撃コミックス)より、写真:高砂市立図書館近くの歩道橋
◇きのう(10/3)の散歩(12.241歩)
高砂の風景
「散歩をしましょう(15)」で書いたように、ブログの読者の方(Hさん)から、次のようなコメントとをいただきました。
・・・・ひろかずさんのブログは地域のトピックということで非常に興味があり、もう5年以上もまえから読ませていただいてます。
今回は新幹線の加古川架橋工事についての推理小説という記事でしたが、(新幹線の)横に掛かっている「播州大橋」を思い出し投稿しました。
高砂市出身・加古川東出身で漫画家・あずまきよひこ氏作『よつばと』に播州大橋~高砂神社・十輪寺のあたりが描写されています。・・・
マンガ『よつばと』を読む
それまで、マンガ『よつばと』や著者の「あすまきよひこさん」については全く知りませんでした。
今までマンガを読んだのは『カムイ伝(白土三平)』と『日本の歴史(石ノ森章太郎)』ぐらいです。本当なんです。
それ以来ですから、まるでマンガ音痴でした。Hさんからの紹介の『よつばと』を読みました。全巻を買ってしまったのですから、まさに、私の読書革命です。
というのは、なによりも、Hさんが紹介してくださったようにマンガに出てくる場面に驚いたからです。見たように思える風景がいっぱいあります。
それに『よつばと』に登場する主人公の「よつば」の行動に親近感を持ちました。
孫(9歳)に若干似ています。「よつば」は、5才の設定ですから、その行動も理解出来すのですが、孫は9才なんです。
孫は、若干わがままですが、元気いっぱいです。友達が大好きです。学校が大好きです。もう一つ付け加えます。お爺ちゃん(私)が大好きです。
どんな大人になってくれるかな・・・
きのうは雨だったので、新幹線下の側道を歩きました。そのため、『よつばと』に登場する風景を探しに出かけることができませんでした。
そのため『よつばと』から、高砂市の高圧線の鉄塔のある風景を紹介します。作者のあずまひきよひこさんは、これらの鉄塔のあたりにお住まいだったと想像します。(no3738)
*絵:『よつばと(6巻)40話・はいたつ』より(高砂方面の風景は反転して描かれています)
◇きのう(10/2) の散歩(11.268歩)
『よつばと(8巻54話・おまつり)』 に、高砂神社のお祭りの風景が描かれています。
高砂神社の秋祭り
高砂町は、姫路藩では、飾磨(しかま)と高砂は港町として大切な役割を果たしました。
特に、高砂の港は、飾磨港とは大きく異なった性格を持っています。
高砂は、兵庫県で一番大きな加古川の河口に発達した町です。
加古川の流域は大きく、たくさんの物資が高砂へ集まり、全国に運ばれていきました。
また、全国から集まった商品は高砂に集まり、上流の村々へ運ばれました。
そのため、高砂に港がつくられ、町場か形成されると、たちまちに大きな経済力を持つようになりました。高砂は、これらの商品を扱う豪商の活躍した港町です。
高砂神社の勇壮な祭りも、これら高砂の盛んな商業活動が生み出した行事です。
高砂神社の秋祭り(10月10日・11日)は、もうすぐです。『よつばと』 に描かれた風景が展開されます。
その日にはぜひお出かけください。(no3737)
*絵と写真:絵・マンガ『よつばと(8巻)』より。写真:高砂神社
◇きのうの散歩(11.266歩)
今日から10月。秋本番いかがお過ごしですか。
5月以来続けている散歩ですが、9月は1日の目標を「1000歩」引き上げて11000歩としました。
9月16・17日は台風で雨、21日は高御位山登山でグロッキー、そして25日は同窓会に出ましたので目標は達成できませんでしたが、その外は何とか歩くことができました。
おかげで体調はいいです。ブログの最後に「きのうの散歩」のコーナーをつくっています。これを書くために歩いているようなものです。
9月の散歩(目標、1日11.000歩)
1日(金) 11.235 歩 自宅周辺・加古川町河原を歩く
2日(土) 12.984 〃 自宅周辺・平荘湖一周
3日(日) 13.809 〃 明石江井島海岸・自宅周辺
4日(月) 13.363 〃 尾上町を歩く
5日(火) 11.303 〃 マックスバリュー・平荘湖周辺
6日(水) 17.313 〃 権現ダム一周・自宅周辺
7日(木) 12.239 〃 自宅周辺・新幹線下の側道
8日(金) 12.498 〃 自宅周辺・平荘湖一周
9日(土) 11.149 〃 いろは食堂・加古川駅周辺
10日(日) 11.554 〃 平荘湖一周・自宅周辺
11日(月) 11.494 〃 権現ダム・自宅周辺
12日(火) 11.441 〃 自宅周辺・天満大池一周
13日(水) 15.389 〃 権現峠~広尾~権現ダム南堰堤
14日(木) 12.674 〃 山電的形駅~小赤壁~八家駅
15日(金) 11.383 〃 明石インタ~明石清水神社
16日(土) 6.382 〃 自宅周辺
17日(日) 6.649 〃 自宅周辺・マックスバリューまで
18日(月) 11.940 〃 自宅周辺・昭和住宅公園まで
19日(火) 11.144 〃 自宅周辺・荒神谷を歩く
20日 (水) 14.063 〃 自宅周辺・荒神谷の姫路側を歩く
21日 (木) 8.505 〃 自宅周辺・高御位山登山
22日(金) 11.150 〃 自宅周辺・新幹線高架下側道
23日(土) 12.059 〃 自宅周辺・平荘湖一周
24日(日) 11.758 〃 自宅周辺・高砂町散策
25日(月) 6.868 〃 プラザホテル~自宅(片道)
26日(火) 11.279 〃 生石神社周辺・右岸河川敷
27日(水) 11.780 〃 新幹線下側道
28日(木) 12.342 〃 高砂(高砂駅~荒井駅片道)
29日(金) 11.770 〃 高砂町・平荘湖周辺
30日(土) 13.279 〃 別府町散策・平荘湖周辺(no3736)
*写真:高御位山登山(21日)山頂にて。最後の高御位登山にしようと決めたしんどい散策(登山)でした。(蛇足:ひどい頭髪と髭面です。次の日に散髪に行きました)
県立高砂高校
28日(木)、午後から高砂市の中心部を歩きました。マンガ『よつばと』に登場する風景を探しに出かけました。
というのは「第6巻・40話(はいたつ)」登場する学校が気になっていたからです。訪ねてみると記憶にあった、まさにその学校でした。
モデルは「県立高砂高校」でした。以前に、ある事情で数回も来たことがあります。
その時、元阪神タイガースの小山正明投手がこの学校の卒業生であること、そして小山投手は、明石市の二見町の出身であることも知りました。
タイガース・ファンであったので、このことだけはっきり覚えています。
でも、おかしいです。県立高校ですから学区があったはずです。
事情はこうです、余話として書いておきます。
余話:明石市二見は加古郡だった
話は、加古川市の合併問題と絡んでいます。(現加古川市の)別府町は、昭和25年6月1日の加古川町との合併予定に向けて住民投票を実施しました。結果、その差は加古川町との合併賛成は、わずかに86票上回っただけでした。結論が出ませんでした。
このような状態の時、阿閇村(現:播磨町)では「土山駅前問題」が発生しました。
土山駅前は加古川町・阿閇村・魚住村・二見村が入り組んでいます。
その内、阿閇村に属している土山駅前商店街が、加古川町への合併を強力に推し進めようとしたのです。村内がまとまらなくなってしまいました。
そのため、合併の是非を問う住民投票を実施しました、現状維持:2548票、合併賛成:1502票で、はっきりと加古川町との合併を拒否しました。
阿閇村は、明確に加古川町との合併を拒否したのです。二見町は、播磨町が合併をしないことを決めました別府町の態度が決まりません。となると別府・播磨町と加古川町と地域がつながりません。
このようなもたつきの中で、二見村は明石市と合併に走ってしまいました。
蛇足ですが当時、高砂町は、印南郡ではなく加古郡でした。(no3735)
*『よつばと6巻・40話、はいたつ(あずまきよひこ)』(電撃コミックス)
*絵と写真:上:高砂高校(『よつばと6巻』)より、下:現在の高砂高校
◇きのう(9/28)散歩(11.770歩)
生石神社の階段
前回の「散歩をしよう(16)」を、再度ご覧ください。
宝殿山と生石神社の絵です。
鳥居が、山頂近くの神社と同じ場所に描かれていますが、山頂には鳥居はありません。
階段(150段)は神社の山麓に
前回の写真は、高砂球場の側から撮影したものです。
写真を撮った後、生石神社のある山麓まで歩きました。橋を渡り少し上るとすぐです。疲れていません。
鳥居は、山麓にあります。
山頂近くの神社へ続いています。急な階段です。
ここから神社に登るルートが正式なんでしょうが、この階段を上っている方を今まで見たことはほとんどありません。
この階段の途中に道路が横切り、駐車場まで続いています。
従って、車で駐車場まで行き、そこからお参りするのが普通です。
私も、子どもの時から何回も生石神社に来ていますが、この階段から登ったことは一度もありません。
この鳥居から、あらためて上を眺めました。
先日、高御位山へ登ったしんどさを思い出しました。登るのには一大決心が必要な階段です。
ここまで来たのですから神社(本殿)のところまで登ることにしました。
何段あるのか数えながら登りました。なんと150段です。(数え間違いかもしれません)
登ってベンチで少し休憩。こんな時のお茶は最高です。
今回の『よつばと』の絵ですが、写真のように鳥居は神社山麓の登り口にあります。
もうすぐ秋祭です。お出かけの時は、この階段から参拝されてはいかがですか。(no3733)
*まんが『よつばと(第11巻・73話・栗拾い)』(電撃コミックスより)
*絵:『よつばと』に登場する生石神社の階段
◇きのう(9/27)の散歩(11.780歩)
マンガ『よつばと』の風景(2)
生石神社と宝殿山(1)
昨年、このブログで「石の宝殿と生石神社(おうしこじんじゃ)」を32回シリーズで書きました。
そのためか、生石神社については、若干思い入れがあります。
また、この神社の御神体の大石(石の宝殿)は、日本の三奇岩とよばれ、謎だらけの巨石です。
もし、時間がございましたら、カテゴリの「石の宝殿と生石神社」をクリックしてお読みください。
生石神社周辺を散策しました
さて、マンガ『よつばと』の主人公の「よつば」は、お父さんらと栗拾いに出かけました。
絵をご覧ください。
「あれ」と、お父さんが指をさしている神社のある山は宝殿山で、神社は「生石神社」です。
マンガでは、そこが栗山としていますが、本当は栗拾いのできる山ではありません。
このあたりの山は、太古の昔より良質の石(凝灰岩)を産出している山です。
そこに、大きな謎の石造物「石の宝殿(いしのほうでん)」が、でんとかまえていいます。
ですが、作者(あずまきよひこ氏)は、栗拾いの山として石の宝殿と宝殿山を使っています。マンガ『よつばと』でリアルな絵が紹介されるのは、うれしいです。(no3732)
*マンガ『よつばと(あずまきよひこ著)・第11巻73話)』電撃コミックス
*絵と写真:上・生石神社のある宝殿山、下・同じ場所の写真
※写真で生石神社は、分かりにくいかもしれません。挿絵と同じ角度から撮影していますので比べてお探しください。
◇きのう(9/26)の散歩(11.276歩)
『よつばと』の風景
先日、ブログの読者の方(Hさん)から、下記のようなコメントとをいただきました。
・・・・ひろかずさんのブログは地域のトピックということで非常に興味があり、もう5年以上もまえから読ませていただいてます。
今回は新幹線の加古川架橋工事についての推理小説という記事でしたが、(新幹線の)横に掛かっている「播州大橋」を思い出し投稿しました。
高砂出身・加古川東出身で漫画家 あずまきよひこ氏作『よつばと』に播州大橋~高砂神社・十輪寺のあたりが描写されています。・・・
『よつばと』の風景を散歩(探検)します
ふだん漫画はあまり読まないのですが、地域の風景が描か有れているというので、さっそく適当に『よつばと』の8~10巻を注文しました。2日後に届きました。
読んでみると、68話に高砂の十輪寺が使われています。内容は省きますが、十輪寺のリアルな山門です。
三冊の中には、その他よく見たような風景が描かれています。
さっそく、昨日(25日)の朝、十輪寺へ撮影に出かけました。
いつも、前日の夜「明日はどこへ散歩しようかな」時計しますが、『よつばと』をじっくりと読んでみます。
そして、物語の舞台を探検してみようと思います。
みつかった日には、このブログで報告させていただきます。
子供のように探検をしながら、散歩を楽しみます。(no3731)
*絵と写真:上、『よつばと』(10巻第68話)に登場する十輪寺山門
下、十輪寺山門(24日撮影)
◇きのう(9/24)の散歩(6.868歩)
最近、散歩に凝っており、散歩中に見つけたこと(考えたことを)を書いていますが、2010年4月1日のブログ、「オマーン国王夫人・稲美町に眠る」の記事になぜかアクセスが多くなっています。
そのため、今日は、カテゴリー「散歩をしましょう」の続きとして、再度この話題を掲載しておきます。
オマーン国王夫人
県立東播磨高校のすぐ東の高堀を調べました。横の墓地の「オマーン国王夫人」の墓碑にお参りしましょう。
*墓碑の国名は「オーマン」となっています。
オマーンの歴史
オマーンはブ・サイド家が支配するイスラム教の国で、アラビア半島の東南端の一角に位置し、面積は日本の4分の3ほどの小さい国です。
ホルムズ海峡に続くオマーン湾やアラビア海に面したオマーンは、古くからインド・アフリカ東海岸諸国との貿易の要衝でした。
オマーンは、イスラム教を中心としていますが、スンニ派やシーア派でもなくイバーディ派と呼ばれる宗教が国民の多数を占めてします。
イバーディ派は、指導者を世襲としていません。
そのことはよいことなのですが、新しい指導者の出現には、しばしば混乱と分裂を招きました。
オマーンは、衰え1507~1649年までポルトガルに支配されました。
オマーンが、再度統一を回復したのは1749年のアハマド・ビン・サイードによってでした。
しかし、サイード国王の死後、オマーンは再び衰え、国王のタイムールは息子のサイードに追放され(1932)、1965年にインドのボンベイで客死するまで30年余をアジア各国で過ごしています。
タイムールは一時、日本にも滞在し、そのとき日本女性との間に女の子をもうけます。ブサイマ王女です。
その後、父親を追放して第7代国王となったサイード(在位1932~70)は、イギリスとの通商条約を結び、イギリスを後ろ盾に父・タイムール旧勢力と対峙しました。
その後も争いは絶えませんでした。
1970年、サイード国王の息子のカブースは父を退位させ第8代国王に即位しました。
なお、父親のサイードは追放された2年後ロンドンで亡くなっています。
オマーン国王夫人・稲美町の墓地に眠る
息子に追放されたタイムール国王は一時、日本にも滞在し、その時日本女性との間にブサイマ女王を出産します。
この日本女性は稲美町の方で、墓碑(写真)が県立東播磨高等学校前の墓地にあります。
数年前、ブサイマ女王が母の墓参にこられたということを聞きました。
話してくださった方は亡くなられ、当時の詳細はわかりません。
さらに、オマーン国王について知りたいのですが、詳細をお知りの方はお知らせください。
<墓碑>
南面 昭和拾四年拾壱月拾日卒
前オーマン国王夫人 清子アルサイド
享年二十三歳
東面 昭和拾五年五月
タイムルFファイサム・アルサイド建之 (no3730)
*地図:オマーンを示す地図、写真:オマーン国王の墓碑
◇きのう(9/24)の散歩(11.758歩)
新幹線高架下に咲く月見草
22日の散歩は新幹線高架下の側道を歩きました。少し季節遅れの月見草がいっぱい咲いていました。
富士をバックにした月見草は、なんとなくイメージがあるのですが、騒音と新幹線下のコンクリートに囲まれた一角に咲く月見草は、心地よい風景とはいかないようです。
それにひきかえ、太宰治の「富岳百景」の月見草は、怪しげな美しさを想像させます。
富士には月見草がよく似合う
新幹線高架下と月見草は、あまり似合わない
太宰治の短編「富岳百景」は、へこんだ富士と向き合うことにより再生する物語です。
・・・・老婆も何かしら、私に安心していたところがあつたのだらう、
ぼんやりひとこと、「おや、月見草」そう言つて、
細い指でもつて、路傍の一箇所をゆびさした。
さつと、バスは過ぎてゆき、
私の目には、いま、ちらとひとめ見た黄金色の月見草の花ひとつ、
花弁もあざやかに消えず残った。
三七七八メートルの富士の山と、
立派に相対峙し、みぢんもゆるがず、
なんと言ふのか、
金剛力草とでも言ひたいくらい、けなげにすつくと立っていたあの月見草は、よかつた。富士には、月見草がよく似合ふ。
・・・・
月見草のイメージは落差は大きすぎます。(no3729)
*写真:新幹線高架下の月見草(オオマツヨイグサ)
◇きのう〈9/23〉の散歩〈12.959歩〉
小説の舞台を散歩をしました
きょうは、午後からは雨。そのため、新幹線下の側道を川の方(西)へ歩きました。川と突きあたる新幹線の下で、しばし雨宿りをしました。
改めて、新幹線を眺めていると、「ふっ」と10年以上前に、新幹線の加古川架橋工事についての推理小説があったことを思い出しました。内容は、全く覚えていません。
散歩後、書架を探しました。ありました。小説は『山陽路殺人事件(井口泰子著)』でした。
少しだけ読んでみました。もちろん小説ですが、殺人事件があったのは、昨日私が腰かけているところから7・80メートル先が舞台です。
一部だけ読んでみます。
『山陽路殺人事件(井口泰子)』(勁文社)より
・・・郷里の広島への往復の途中、修子(主人公の一人)も何度となく通過している駅である。
特急は無論止まらないが、急行でさえ止まらない列車もある。兵庫県の小都市である。駅名を知っているが下車したこともない。何の変哲もなさそうな町である。・・・
(修子は加古川へ呼び出されて)駅前のタクシーは、稲屋(加古川町稲屋)へというと「あいよ」と軽い返事ですぐ走り出した。・・・
いま、この地で山陽新幹線の架橋工事が進められている。新大阪から岡山までの新幹線である。
・・・日本で初めてのプレキャストブロック・カンチレバー工法による鉄道架橋工事がすすんでおり・・・新大阪から岡山までが、昭和47年の4月開業予定で、建設作業は追い込みに入っていた。工事は予定よりかなり遅れていたが、日暮れには勝てない。夕暮れの気配とともに作業は終了する。
作業員たちは散らばった工具や鉄筋材などを片付けながら引き返していく。・・・架設ブロックの先端あたりに、何か黒い塊が見えた。
「あれ人間だぞ」と建設会社の社員が駆け出した。
物体が、人間がうずくまるようにたおれていた。
うつむいて倒れていた右足を引こうと折り曲げていたが右手はブロックを叩きつけるようとするかのように握りしめていた。
起き上がろうとして、気力が絶えたらしい。
人々は、頭部を見て、「うっ」と呻いた。
頭頂部の少し斜め下の頭皮が裂け、かなりの広さで剥がれていた。背後から、硬い鈍器でいちげきにされたことは明らかである。すでに、息は耐えているらしい。あと7・80㍍で大阪側の地点(稲屋の堤)である。
殺人事件であれ、小説に登場している場所に来ていました。ゆっくりと読み返します。(no3728)
*小説『山陽路殺人事件(井口泰子著)』(勁文社・ケイブンシャ文庫)参照
(この本を検索しましたが、現在絶版で古本もないようです)
*写真:小説に登場する加古川にかかる新幹線〈9/22撮影〉
◇きのう(9/22)の散歩(11.150歩)