迷 信
松右衛門が、すぐれた船頭であることを示すエピソードを『風を編む 海をつなぐ』(高砂教育委員会)から一部をお借りします。
・・・
松右衛門、24才のときのことでした。
松右衛門は讃岐(現在の香川県)へ通う船の船頭となっていました。
その当時、おおみそかの夜に船を出すと災難にあうという言い伝えがあり、おおみそかの夜に航海する者はいません。
言い伝えを信じていなかった松右衛門は、おびえる水主(かこ)たちを説得してその夜出港しました。
夜の海を航海していると、水主たちが騒ぎだしました。「山のような波が押し寄せてきた」というのです。
それを聞いて船首で海の様子を見た松右衛門は、「山があれば谷がある。谷に向かって進め」と命じました。
水主たちは谷を見つけ、力を合わせて船を進めました。
すると目の前から山は消えました。
松右衛門には最初からこの「山のようなたくさんの波」は見えませんでした。
「言い伝えを信じおびえていた水主たちにはそのように見えた」というのが、実際のようでした。
松右衛門は、合理的に物事を考える人でした。
おおみそかの夜に災難が起きると言われているのは本当なのか、そうだとすればそれはどうしてか。松右衛門はそれを確かめたかったのです。
いざ海に出てみると、言い伝えには根拠がないことがわかりました。
ただ、言い伝えを信じこんでいる水主たちには「山などない」と否定せず、「谷を行け」と命じたのです。
松右衛門自身も山が見えたということにしておいた方が、同じ船に乗る者の気持ちが一つになると考えたからです。
松右衛門は水主たちの気持ちを考えつつ、船を進めるため号令をかけました。
彼の言葉により船は無事にすすみ、水主たちは冷静さをとりもどしました。(以上『風を編む 海をつなぐ』より)
松右衛門の考えの源は?
以上はエピソードですが、松右衛門はすべてに合理的に考える人でした。
松右衛門の船頭として優れたリーダーシップはともかく、彼の迷信を信じない合理的な考えは経験から得ただけとも思えません。
兵庫港・高砂の商業活動から合理的な態度を身につけていたのでしょう。(no4951)
*『風を編む 海をつなぐ』参照