今日で9月も終わり。「円照寺の花たち」は2月から始めて、はや8か月になりました。
まだ、紹介できてない「円照寺の花たち」があります。花がきれいに咲く都度紹介することにして、次の話題「瀧瓢水物語」を始めます。
引き続き、お読みください。
写真は、最近の円照寺のスイフヨウです。
瀧瓢水(1) 「瓢水物語(たきひょうすい)」を始めます
現在の加古川市別府町に瀧瓢水(1684~1762・江戸時代中期)という俳人がいました。
家業を継いだ時瀧家は千石船を七艘(そう)を持つ、かなりの豪商でした。
しかし、瓢水が家業を継ぐや急速にさびれてしまいました。
それも、そのはずです。
俳句にのめりこみ、家業を人まかせにして京都、大坂で遊んでばかりいるものですから、土地や船は他の商人の手に渡ってしまいました。
でも、彼は底抜けの暢気な性格で、そんなことをいっこうに気をとめるようすはありません。
瓢水は、俳句にだけは異常なほど情熱を傾けました。
浜までは 海女も蓑着る 時雨かな
この句をご存知の方も多いと思います。
その外にも、瓢水の句と知らずに覚えておられる句も多いのではないでしょうか。
あるところから、「瓢水について知りたい」という要請がありました。
彼について、あまり知らないのですが、調べながら紹介することにします。(no3350)