家紋石
生石神社にお参りする時、山麓の急な石段からお上りください。
すると、山ろくの石の鳥居の両脇に矢羽模様の家紋を刻んだ大きな石塊を発見します。
「家紋石(紋所石とも)」と呼ばれているものです。
一方は「違い矢」、もう一方は「三本矢」です。
この家紋石は、初めからここに置かれていたのではなく、元は観涛処(かんとうしょ)の北側の尾根上にありました。
採石作業で崩れ落ちたため、昭和50年、ここに移されました。
製作年代も制作者もはっきりしていません。何の目的で作られたのか定説はないそうです。
ただ興味深いのは、姫路藩の竜山石専売制とかかわるものではないかと一いう説です。
姫路藩の専売制といえば木綿が有名ですが、竜山石についても採掘に際して村々に石を上納させ、石切の許可を与える制度を敷いていました。
寛延3年(1750)年と嘉永4(1851)年の石切鑑札が現存しています。
「専売制になった象徴として作られたのでは」という説は説得力がありそうです。
竜山石は藩の専売品
勝手に砕石するべからず
ここからは、全くの推量です。
「ここの石は、姫路藩の許可をえている。勝手にとってはいけない。・・」と主張しているように思えるのです。
姫路藩の専売制度というと「河合寸翁(姫路藩の家老)」が、思い浮かびます。
河合家の家紋は鷹の羽です。
つまり、「ここは姫路藩のご家老の許可を得ての砕石場である。勝手に砕石してはならない・・・」と主張しているようにも思えるのです。
みなさんは、どう想像されますか。(no2751)
*『はりま(埴岡真弓著)』(神戸新聞総合出版センター)参照
*写真:家紋石(参道正面に向かって左の三本矢)