ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

新ひろかずのブログ(1) 渋沢栄一と高砂(1)

2020-12-30 13:34:44 | 新ひろかずのブログ(1):

 11月に体調を崩し、寝込んでしまいました。「新ひろかずのブログ」も急停止し、その後、体調は回復しましたが、ブログはお休みのままになってしまいました。

  

 その間、短い文章のフェイスブック(FB)は続けました。

 FBは、章が短く簡単です。ということは読んでいただきやすいようです。

しばらくは、簡単で読みやすい「新ひろかずのブログ」を不定期便で続けていました。

 新しい年が始まります。もうひと頑張りします。お時間のある時に、お付き合いください。よろしくお願いします。

 

 

 いま、来年のNHK大河ドラマの主人公「渋沢栄一」について、読んでいます。なんと、渋沢栄一と高砂市との接点があるのですね。

  

 ◇渋沢栄一と高砂(1)◇

 渋沢栄一は、若い幕末のころ、一時一橋家に仕え、高砂市と関係を持っています。

 彼は、一橋家の経済を立て直すためにいろいろと手を打ちます。

 一橋家の財政立て直しのための一つに、播磨の特産品である木綿や菜種油に注目します。

 姫路藩の木綿専売制は有名でした。

 東志方や加古川下流の今市(いまいち)・中島・曽根の村々は、一橋藩領でした。

 渋沢栄一は、「一橋家領の木綿は、姫路藩のようにまとめて大坂・江戸で売るならもうかるだろう」と考えました。

 彼は行動の人です。慶応元年(1865)に細工所村(加古川市東志方町)へ出張し、8月28日から1ヵ月間、今市村に逗留して一橋産物会所(役所)の開設を準備しました。

 今市村に役所を置いたのは、今市には資産家が多く、家屋や土蔵などの設備もあり、なにより水運が便利だったからでした。
*写真:新一万円札の渋沢栄一

 

コメント
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