志方大塚古墳
『志方町を歩く(232)』で志方小学校の北の四道辻地蔵堂(よどのつじじぞうどう)を紹介しましたが、そこからすぐ北に「大塚古墳」がありますので紹介します。
大塚古墳(写真)のバックに志方中学校・八幡神社があるので、すぐお分かりになると思います。
この古墳は直径30メートルぐらいの大型の古墳でしたが、昭和10年頃に破壊されてしまいました。
今では、かつての姿を全くとどめていません。
天井石は、古墳の中に落ち込み露出しています。
当地方の有力な支配者の墓
『志方郷(4号)』で、郷土史家の上月昭信氏は、この古墳について次のような特徴をあげておられます。
① 石室の奥壁にも石室をもつ
② 石室の規模は、志方町で二子塚に次ぐ大きさを持つ
③ 群集墳の時代(6世紀後半から7世に初め)に単独で平野近くの先端部に築かれている
④ 発掘調査の結果、直径38㍍という広い墓域を持つ
これら②~④の特徴から、古墳の被奏者は当地方で相当な実力者の墓と考えられます。
そして、それ以上の特徴としては、①石室の奥壁に石の棚を持つことです。
石棚を持つ古墳は播磨地方では知られておらず、その分布は大和・紀伊・摂津・丹波で、それぞれ1~2其確認されている程度です。
志方大塚の被葬者は、どんな人物だったのでしょうか。