石工・仲右衛門
『はりま(埴岡真弓著)』で、石工・仲右衛門を紹介しています。
その一部をお借りします。
「・・・現在、観涛処へは加茂神社(伊保町)から登りますが、かつてはもっぱら生石神社の写真の場所から観涛処へ登りました。(*危険ですから、必ず加茂神社横の道から登るようにしてください)
その大型の石碑に、観涛処を製作したと思われる石工の名前が「生石村雲根室仲右衛門」と刻まれています。
彼は、江戸時代末に活躍した石工の一人で、巨大な石材の細工を得意としたといいます。
これ以外にも、天川橋(姫路市御着)が彼の作品として知られています。
天川橋の架橋は文政11年(1828)です。
仲右衛門は山から石を切り出す「山取」の技術に秀でていたといいます。
6日(月)の午後、天川橋の写真を撮りに出かけました。
「天川橋」というのですから、天川の中心地に架かる橋のようです。
御着城の西に天川が流れており、そのあたりで、西国街道と交差しています。
たぶん、そこが天川橋だろうと見当をつけ車を止めると、バッチリでした。
でも、仲右衛門の影がありません。
新しいコンクリートの特徴のない橋に変わっていました。ここでも歴史が一つ消えています。
数多くの名工たち
仲右衛門の他に名の知れた石工として、嶋村(高砂市米田町)の西邨(にしむら)一族がいます。
生石神社拝殿前にある、宝暦8(1758)年の石灯籠もその作品の一つです。
嶋村の石工の作品は、姫路にも散見されます。
播磨国総社、射楯兵主神社にある宝暦12年の石灯籠も「石工嶋村平次郎」の作です。
その他、近辺の神社等で、生石村の清兵衛、藤兵衛、塩市村の久七、米田村の捨吉の名を見ることができます。
これら名前が伝わっている石工以外にも、生石神社周辺には無数の名工が存在したに違いありません。(no2755)
*『はりま(埴岡真弓著)』(神戸新聞総合出版センター)参照
*写真上:「観涛処」入り口の石碑、下:現在の天川橋