古宮村、昔は今里村
播磨町「古宮(こみや)」の名称を考えてみます。
古宮は海岸線に沿った地域で、古くは「今里村」と称していました。
中世になって古宮と改めたといいます。
今里村の地名については、室町時代の永享6年(1434)の住吉大社造営費用の割当状の中に見ることができます。
以下は、古宮に伝わる伝承です。
・・・豊臣秀吉が朝鮮に出兵の途中、この地の海岸を通過しようとしたが、その日は周囲が全く見えない闇夜でした。
航行に難渋を極めましたが、さいわい古宮の住吉神社の常夜燈が目印となり、無事着岸できたといいます。
秀吉は、住吉神の御加護として非常に喜び、この地を古宮と命名し、朱印十三石を与えた。・・・
「古宮」の名称は秀吉が名付けたのか?
以下は、勝手な想像です。どう思われますか?
江戸時代は、ここはもっぱら「古宮」と呼ばれており、今里から古宮に変わったのは1434年から1600年の間と言うことです。
秀吉は、天文5年(1536)から文禄4年(1598)の人ですから、集落の名称が古宮になったのは、秀吉の時代としても、おかしくはありません。
それまで、この地域は「今里」と呼ばれていたが、秀吉の時代に、この集落の名称は「古宮」にかわったのでしょう。
集落の名前も、有力者の名前も「今里」では、紛らわしく、何かと不都合なこともあったのでしょう。
そのために集落の名称は「古宮」に、有力者の家名を「今里」としたのではないかと想像します。
やがて、古宮村に、秀吉の伝承が付け加わり、集落名は「古宮」として定着したのではないでしょうか。
勝手な想像であることをお断りします。
*写真:古宮(こみや)の地名由来を持つ古宮住吉神社の常夜灯台跡