引き続き、『わたの里通信誌』の内容を続けるべきですが、少し次の話題を挟んでおきます。
書斎に、昭和30年代に使用した、小学3年か4年生が使った社会科の副読本『わたしたちの加古川』(加古川市教育委員会)があります。
それには「のびゆく工業」として、タオル工場(稲岡工業)が紹介されています。
この文章から、当時のタオル工業の繁栄が読み取れます。
タオル工場(中西さんの見学)
一ばんはじめに見たのは、タオルをおっているところです。
180台もあるきかいが動いているので、耳がワァ~ンと、なってしまいました。
何枚もつづいたタオルが、おられていきます。
がすごいなあ、と見とれていると、「この工場では、日本でつくられているタオルの十分の一が、できるのだよ」と、おしえてくださいました。
一年間に百万ダース、お金にすると5億円だそうです。
おったタオルは、けんさしてから、ついているのりを、あらいおとすのです。
長くつづいたタオルをきかいの力であらうので、水をとんどんつかぅています。
こんどは、あらったタオルをまっ白にさらすのです。
くすりの入った、きかいが、何台もあって何百枚もつづいたタオルが、さらされて、美しくなって出てきます。
このきかいは、アメリカから買った,オートメーションのきかいだそうです。
なかなかべんりで、よいなあと思いました。
かわかして、おりたたんだタオルに、字を入れたり、しるしをつけたりしているところもありました。
こうしてできたタオルは国内にうりだされるだけでなく、カナダ・ホンコン・ビルマ(現:ミャンマー)、南アフリカ・オーストラリアなどの国々に、送り出されます。
加古川市でできたタオルが、そんな遠い国までいくのかと、びっくりしました。
工場の人のお話しを聞くと、タオル工場では、よい水がたくさんいるそうです。
加古川の水は大よくて、たくさんあるから、つごうがよいということです。(no3035)
*タオルのできるまで『わたしたちの加古川』(加古川市教育委員会)参照