前号の続きです。
『稲美町史』は「一色の水揚げ場の新しい伝承」を載せています。
文章は少し書き換えています。
こま徳さん
村の人たちは機械の操作がよく分からなかったので、舞鶴から田久保さんという人を頼んで、池のそばに小屋を建てて住んでもらっていました。
田久保さんの下に、石炭をくべる大徳さんと、こま徳という二人の男の人が働いていました。
二人は、昼夜交代でよく働きました。
大徳さんは体が大きく、こま徳さんは少し小さかった。
村の子どもたちはよくサツマイモを持って行って、こま徳さんに焼いてもらっていました。
こま徳さんは、面倒がらずサツマイモを焼いてくれました。
こま徳さんは気が優しく、男前で子供たちは「こま徳さん・・・こま徳さん・・・」とよくなついて、機械場で遊んでいました。
こま徳さんは、水揚げ所の近くに住んでいました。
ある日のことでした。
交替の時間が来て、こま徳さんはうす暗い中を帰っていきました。
別れてまもなく、子供どもたちが振り返ると、こま徳さんは女の人と並んで歩いていました。
「あの女の人どこから来たんやろ・・・」と不思議に思いながら、子供たちは家に帰りました。
その日の翌日、こま徳さんは林の側の溝に落ちて死んでいました。
村人は、「あの女の人は狐やで、男前のやさしいこま徳さんをたぶらかし、溝へつきおとしたんや」と話していました。
子どもたちは「こま徳さんが死んだのは狐の仕業だったのだろうか」と、不思議に思うばかりでした。
ついに、女の人の正体は誰にもわかりませんでした。
ただ、それまで毎日機械場から聞こえていたキレイな笛の音が、こま徳さんが亡くなってからは、いつも悲しげに尾を引いているように聞こえたといます。