最後は、清潔な枯草のように
震災後も、耕衣は次のような句などを発表しています。
「死神と 逢(あ)う娯(たの)しさも 杜若(かきつばた)」
でも、満96歳になった耕衣は、朝食に向かおうとしてころび、左上腕骨を折ってしまいました。
19歳のときから、文字通り腕一本で働き続けてきたその左腕までが、こうして休養を強いられることになり、口述に頼らねばならなくなりました。
そして、年齢は、耕衣から体力をうばい、平成8年8月25日、耕衣は清潔な枯草のように96年6ヶ月の人生を終えました。
まさに、大往生でした。
最後に、亡くなる1年前の「耕衣大晩年の会」で述べた耕衣の言葉を聞いて「永田耕衣の風景」を終わることにします。
孤独のエネルギー
私は震災で孤独になりましたけど、俳句を考えるエネルギーはなぜか益々充実してきまして、俳句を作ることがひじょうに面白くなってきました。
なぜ面白くなってきたかと言いますと、それはやはり「孤独」というエネルギーが私の中に燃えさかってきたため、というしかないのです。
が、この度の震災の話にしろ、天災に遇って、天災に従順になる代わりに、私は天災は面白い。
そう言うと大変な誤解を招き非難を被ることも充分承知なのですが、これは私の偽らぬ事実であります。
孤独であっても、そういうように賑わいが充分ありまして、その〈孤の賑わい〉を〈永遠〉という質の中で大事にしていこうと思っています。(完)(no3469)
*写真:最晩年の耕衣(平成7年撮影)