(民話)運慶と湛慶
横蔵寺(平岡町新在家)の観音様には、こんな話が伝えられています・・・・
ある日、湛慶は、母に父のことをたずねました。母は、今まで、「湛慶の父は仏師だ」としか教えていませんでした。
「・・・・お前の父は奥州生まれの運慶で、仏像をつくって諸国をまわるうちに宮崎を訪れ、そこでお前を身ごもったのです。
そして、湛慶が母の体内に宿ってまもなく、郷里に残してきた老父母のようすが気になり、風のように奥州へ帰っていきました。・・・」と、母は、その日湛慶に語りました。
ある夜、湛慶は千手観音の夢を見ました。観音様は「・・・わが右半身を作り、東へ行くべし・・・」と告げるのでした。
湛慶は、観音様の右半身を背に負おうと東へ出発しました。
やがて、加古の里の野口の大辻村まで来て、路傍の石に腰をおろしていました。
その時です。
「私も休ませでくださらぬか」と声をかけられ、一人の老人が彼の横に立っていました。
「どちらから来られたんですか」と湛慶はたずねました。話は弾みました。何時しか、身の上話に及びました。
湛慶は「もしやあなたは、運慶様ではございませんか・・・」
老人はビックリしました。
そして、湛慶の取り出した右半身の観音様は、運慶の持つ左半身の観音様と寸分の違いもなくピッタリと一体の仏像と合わさりました。
その夜、野づらには、強い風が吹いていました。風が歌っていたのかもしれません・・・