東風吹かば 匂ひおこせよ 梅の花
主なしとて 春なわすれそ
天満神社の祭神の池大明神は大池を神格化したもので、伝承では大池の歴史は古く、天満大池は、白鳳3年(675)に築造されたといいます。
その後、寛平5年(893)社殿を今の地に移しました。
この地域を開拓した人々にとって、池(水)はまさに命でした。そのため、大池は池大神として祀ったのでしょう。
祭神、菅原道真についての詳細な物語は、ここでは省きますが、道真は藤原氏の讒訴(ざんそ)にあい、突如大宰府に流されました。
伝承では、その途中二見港に立ち寄ったとき、池大明神の梅が花盛りであったので道真をここへ案内したといいます。延喜元年(901)2月のことでした。
こんな伝承の関係で、後に京都の北野天満宮から勧請して、池大明神の右側に奉納するようになりました。
道真の話は、あくまで伝承としておきます。
道真は、延喜3年(903)、失意のうちに大宰府で亡くなりました。
59才の人生でした。
道真の死後、京都では天変地異がしきりに起きます。
旱天・流星・大地震、そして疫病などが続き、貴族たちは道真の怨霊が京の空に舞い戻って来たのではないかと噂し、動揺ははなはだしいものがありました。
このため、朝廷は神社を建立して道真の霊を慰めようとしました。
道真の怒りが雷神として現れたと信じた藤原貴族たちには恐怖でしたが、農民にとって雷は雨と水をもたらし、稲の稔りをもたらす神として全国にひろがりました。
天満神社は、こんな歴史を持つ神社です。
天満神社には菅原道真を祀る関係から、彼の有名な4メートルもある歌の碑(写真)が建立されています。
揮毫は、菅原道真36代の後裔である太宰府天満宮西高辻(菅原)信貞宮司によるものです。
* 万葉の森には3基の『万葉の森賛歌碑』がありますが、これらについては後日紹介します。