『稲美町史』から国安・岡村の数字を拾ってみます。この数字から国安・岡村の様子を想像ください。
<国安村の家数・人口、寛延3年(1750)>
家数 109軒 人口 618人
<国安村の家数・人口、明治14年(1881)>
家数 74軒 人口 351人
江戸時代と比べて、明治時代の国安村の人口・家数共に大幅に減少しています。
もちろん、人口家数が減っているのは国安村だけではないのですが、それにしても国安村の場合は、3割以上の戸数と45%にも及ぶ人口減です。
この数字をどのように説明したらよいのでしょうか。
もう一つ、延宝3年の国安村の数字をみてみましょう。
この数字は、国安に残る名寄帳(なよせちょう)によるものです。
11石以上7軒、10石以上5軒、 9石以上3軒
8石以上7軒、 7石以上6軒、 6石以上5軒
5石以上6軒、 4石以上9軒、 3石以上3軒
2石以上2軒、 1石以上2軒、 1石未満5軒
60軒のうち、なんと10石未満の百姓が8割を占めています。
また、江戸時代中期の寛延3年(1750)、10石に満たない百姓が91%に及んでいます。
<岡村の場合>
さらに15年ほど後の宝暦14年(1764)の岡村の状況は、10石未満の百姓が93%にもなっています。
前号で紹介した出新村では26軒のうち3石が最高で、ほとんどが1石未満という状況でした。
<名寄帳>
耕地所有者別に石高・反別を書き上げ集計した書類
*写真:延宝3年の国安村の名寄帳(『稲美町史』p233より)