2006年8月15日(終戦の日)のブログには次のように書いています。
八紘一宇(はっこういちう)の碑
今日は、61回目の終戦記念日である。今朝、小泉首相が靖国神社へ参拝したことが、マスコミで大きく取り上げられている。
八紘一宇の塔は、加古川市西神吉町辻から志方への抜ける峠の頂上部にある。
最初、この塔を見つけた時、「こんな塔が、まだ残されているのか・・・」と奇異に感じた。
若い人は、この文字すら読めないのではないか。勿論、意味はわからないだろう。注釈を加えておきたい。
まず「はっこういちう」と読む。意味は、全世界は天皇(日本国)の下に一つの家とするという意味で、「八紘」とは四方つまり世界のこと、「宇」は家のことである。
まさに、日本軍のアジアへの侵略をスローガンであった。
・・・略・・・
最近、若者を中心にプチ・ナショナリズムが勢を強めている。この塔(写真の塔)が復活して、「平和のシンボル」にならないことを願う。終戦の日に
・・・・
基本的な気持ちは今も変わりません。
が、一人で平和主義を叫んでいるような冷たい文章です。
『志方郷(第4号)』には、この石碑について次のような記述があります。
「・・・・私(投稿者)にとっては、昭和20年2月末、海軍に入隊する時、石碑の前で横大路の沢山のお見送りの方々に決別の挨拶をした生涯忘れることのできない場所である。・・・
旧西志方村から出征していった父や祖父が家族の見送りの方々と決別した場所であることを知ってほしい・・・」と、書いておられます。
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とすると、「私の父もここで母と別れたのだろうか・・・」と想像してしまいます。
父は、フィリピンで戦死しました。その後再婚したのですが、そんな事は聞いたことがありません。過ぎさった歴史を密封したまま亡くなったようです。