奈良時代、大仏開眼を頂点に、天平の繁栄は終わりを告げようとしていた。
聖武天皇、光明皇后はあついで亡くなった。
後を継いだのは、光明皇后の生んだ、ただひとりの娘の女帝・孝謙天皇(こうけんてんのう)であった。
孝謙天皇は、信頼していた藤原仲麻呂(恵美押勝)にも裏切られ、悶々とした気持にあった。
そんな時である。女帝(44才)の前に、英才の僧・道教が現れた。
独身の女帝にとって道教は、初めての恋人であったとも言われている。
彼は、呪術をもって女帝の病気を治してから、その寵愛を一心に受け、天皇の地位にも並ぶほどの「法王」の地位を授けられた。
この時、朝廷を揺るがす大事件がおこった。
「道教を天皇の位につかせたならば、天下は太平になるであろう」という、宇佐八幡宮(大分県)のお告げが朝廷にもたらされたのである。
ことの真実を確かめるべく、和気清麻呂が宇佐へ使わされることになった。
(挿絵は道教と和気清麻呂・戦前の教科書より)
ここで、八幡神社(加古川市八幡町)の伝承が登場する。
清麻呂は、都をたって播磨の国・望理里宗佐(まがりのさとそうさ)までやってきた。
道教の差し向けた刺客たちが清麻呂を囲んだ。・・・その時、空がにわかに曇り、山から大きな猪が現れ、道教の放った刺客に襲いかかり、次々とけちらした。
そして、清麻呂は無事宇佐に着き、宇佐の神のお告を確かめた。
その内容は「わが国は、開闢(かいびゃく)以来、君臣が定まっている。道教のような皇族にあらざる人を皇位につけてはならない」というものであった。
*『日本史探訪・4』(角川文庫)参照