松右衛門から話題はどんどん流されています。
このあたりで、元に戻さなければいけないのですが、ゴローニンの逮捕に次いで、嘉兵衛の拿捕の話を付け加えてから、話を松右衛門に戻します。
ゴローニンの逮捕・嘉兵衛の拿捕の事件は、日本とロシアの戦争に発展しかねない大事件でした。
幕末の外交史の重要な一頁を飾っています。多くの教科書や歴史書にも紹介されています。詳しくは、それらをご覧くさい。
嘉兵衛の拿捕
ゴローニン少佐は、(日本に)とらえられました。
翌年(文化9年・1812)のことでした。代って艦長になったリコルド少佐は、ゴローニンをとりかえすため、クナシリ島の南方海上を航行中でした。
たまたま、航行中の高田屋嘉兵衛の船を拿捕しました。
日本風にいえば、雲をつくような大男どもが、日本人の平均身長よりも低い嘉兵衛にいっせいにのしかかったのです。
嘉兵衛は、体のわりには腕力がつよく、一人を突きとばしました。
が、背後から、のしかかってくるやつには、どう仕様もありません。やがて押し倒されてしまいました。
いやなにおいがしました。後でわかったことだが、牛脂(ヘット)のにおいでした。
自由をうばわれた嘉兵衛は、怒りのために全身の血が両眼から噴きだすようであり、それ以上に、この男を激昂させたのは、ロシア人たちがかれを縛ったことでした。
「何をするか」
人間が、他の人間に縛られるということの屈辱感は、それを味わった者にしかわかりません。
意識のどこかに、自分が鹿か猪といった野獣になってゆくような気がしたのです。(no4983)