「世論調査の投票」(拘束力を持たない)の結果は、別府町と加古川町の合併は反対となった。
結果、今度は阿閇村(現:播磨町)との合併が現実的な協議にはいった。
事態は、加古川市制実施予定の6月1日に向けてますますの緊迫してきた。
町長・町議会とも最終的な態度を決めなければならなくなった。
そのため、今度は拘束力のある「決戦投票」の結果にゆだねることを決めた。
投票は、昭和25年5月6日に実施され、結果は次のようになった。
加古川町との合併賛成 1250 票
〃 合併反対 1164 票
*この投票には、「外国人(在日朝鮮人を指す)は投票せしめない」との注意書きがある。
結果は、加古川町との合併が賛成が反対を上回ったが、その差はわずかに86票であった。
一部の議員からは「町長リコール」・「分村してでも・・・」という言葉まで飛び出した。
◇土山駅前問題◇
このようなもたつきの中、二見町は明石市との合併を決めた。
そして、阿閇村では「土山駅前問題」が発生した。
土山駅前は加古川町・阿閇村・魚住村・二見村が入り組んでいる。
その内、阿閇村に属している土山駅前商店街が、加古川町への合併を強力に推し進めようとした。
阿閇村はさまざまな思惑と利害が対立し、村内がまとまらなくなった。
そのため合併の是非を問う住民投票を実施した。
その結果は次のようで、はっきりと合併を拒否した。
現状維持 2548 票
合併賛成 1502 票
二見村は明石市と合併し、阿閇村は明確に合併を拒否した。
別府村は、投票の結果、加古川町との合併を決めたが、なにせ小差であった。新たな情勢で別府町は、最終判断を迫られた。
*『加古川市史(第三巻)』参照、写真は土山駅前(6月20日撮影)