昭和30年(1955)3月31日、3つの村が合併して稲美町が発足しました。
町役場は、稲美町国岡の旧天満役場(国岡536番地の2)をそのまま充当することにし、加古・母里の旧役場をそれぞれ加古支所・母里支所としました。
その後人口の急増などにより、手狭になり、また庁舎が老朽化したため、新築移転することが決まりました。
移転先は、国岡135番地1で、昭和52年着工し、翌年53年(1987)8月に竣工しました。
新庁舎の位置は愛宕山の西部です。
庁舎の周辺では中央公民館・商工会館・有線放送農業共同組合などの施設がすでに建設されていて、その後、コミュニティセンター・中央公園・町民グラウンド等が建設され町の中心地となりました。
稲美町の中心地に!
私はいま、大正12年測量の地図をながめています。
愛宕山から稲美町庁舎辺りには人家はほとんどありません。
昨日のブログをご覧ください。
このあたりは、高地で水がなく農業の適地ではなかったのです。
そのため、国岡新村ができた後も、開発の手が入らず、そのままの状態で、開発から残された場所でした。
時代は、変わりました。
稲美町は、衛星都市として人口が急増し、役場周辺はずいぶん変わりました。
*注:赤丸が稲美町旧役場