古い歴史を持つ入ヶ池・北山集落
入ヶ池は、伝承によれば1.300年前に造られたといわれています。
信じられないような古い歴史を持った池です。
できた堤防が、曲がりくねり蛇の形に見えたところから、「お入さんの伝承」ができたのでしょう。
曲がりくねった堤防は、堤防への圧力を分散させるための工夫でした。
この技術は、渡来集団の技術かもしれません。
とすると、1.300年の歴史は、あながち伝承とばかりとはいえないかもしれません。
入ヶ池と共に生活した北山村
ということは、水が「入ヶ池」に集まり、溝川をつくりその周辺は田畑として利用され、北山集落も入ヶ池と共に誕生した古い村といえます。
長い間、北山集落は、入ヶ池の水と溝川周辺の田畑により生活を繰り返してきました。
ただ、その溝川の周辺の水田土地はあまり広くはありません。それに、歴史が古いだけに、江戸時代までに殆どの土地が耕地化されていたと考えられます。
そのため、北山集落が養える人口には限りがありました。
江戸時代に、事情は一変します。
北山集落の周辺に集落が誕生しました。水はたちまちに不足してきました。
それに、江戸時代になり新しい産業が盛んになり、農村も徐々に消費生活に巻き込まれていきました。
北山集落は、耕地が限られているため、支出が増えても、収入は大きく増えません。生活は苦しくなっていきます。
なお悪いことに、入ヶ池をめぐる水事情は他村への分水などにより、ますます悪くなり、近辺の集落との水争いは絶えませんでした。
そのためか、江戸時代の北山村の人口は減少しています。
そんな、厳しい環境の中でも、先人はたくましく、入ヶ池とともに暮らしてきました。
今年は、入ヶ池が誕生して1.300年目に当たります。
日頃は、忘れがちな入ヶ池とその水について思いをはせてみましよう。
この『入ヶ池物語(仮称)』が、発行される頃は、曇り川の桜も散っているかもしれません。さわやかな風を感じながら、お入さんのことに思いをはせて散策をしませんか・・・
お読みいただき、ありがとうございました。(完)
写真:北山集落の桜並木
*お知らせ
2か月の予定でまとめ始めた『入ヶ池物語』でしたが、予定の半分でなんとかゲラを書き終えることができました。
そのため、土曜日までお休みして、8日(日)から、中断していました「(シリーズ」高砂を歩く」を再開させます。お付き合いください。