ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

加古川の味、かつめし(16) ブラジルで「かつめし」大好評 

2017-08-31 08:28:40 | 加古川の味、かつめし

 「かつめし」の普及のためブラジル・マリンガ市に渡った杉本洋一さんの活動報告会のようすが昨日(8/30)の神戸新聞に取り上げられました。紹介しておきます。

    ブラジルで「かつめし」大好評 

 兵庫県の加古川名物・かつめしの普及のため、ブラジルに渡っていた「加古川かつめし大使」の杉本洋一さん(74)がこのほど帰国し、29日、加古川市役所で岡田康裕市長らに活動内容を報告した。苦労話も交えながら、複数の現地レストランでのメニュー化など、実績を紹介。「誰もがおいしいと喜んでくれた」と振り返った。(広岡磨璃)

 「うまいでぇ!加古川かつめしの会」副会長の杉本さんは、15~26日の市青年海外派遣事業に同行し、姉妹都市・マリンガ市を訪問。大使に任命された杉本さんは、ポルトガル語のたすきやのぼり、食品サンプルを携え、ブラジルの地に初めて乗り込んだ。

 牛肉の確保には苦労しなかったが、最も頭を悩ませたのが、デミグラス風のたれ作り。材料を調達できると下調べした上で、到着翌日、丸一日かけて仕込みに没頭したが、「ケチャップが甘過ぎたり、粉末ソースのもとの香辛料がきつ過ぎたりして、4回も失敗した」という。試行錯誤の上、牛骨からスープを取り、納得のいく味にたどり着いた。

 その後、女性グループの料理教室と、商工会議所での試食会は大好評のうちに終了。試食会にはマリンガ市の副市長や市議会議長らも参加し、副市長からは「ぜひ新たなご当地グルメに」と前向きな発言もあったという。

 現地レストランでのメニュー化は、当初予定の1カ所から複数に増える見通しで、9月にある10万人規模のイベントにかつめしが出店することも正式決定するなど、「精いっぱいのことはやれた」と杉本さん。岡田市長は「素晴らしい第一歩。現地でかつめしの味が広がることを期待したい」と話していた。(no3704)

 *写真:ブラジル(マリンガ市)での料理教室のようす(写真中央は杉本洋一さん)。なお、写真の他の一枚は省かせていただきました。

 ◇きのう(8/30)の散歩(11.596歩)

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加古川の味、かつめし(15) かつめしの原型

2017-08-30 07:42:30 | 加古川の味、かつめし

 昭和22年、終戦の混乱期に、いろは食堂の初代一角久雄氏が、加古郡加古川町篠原二丁目字鳥居裏に平屋建ての「いろは食堂」をさせました。

 当時、加古川町は町とは言いながら農村に囲まれた町でした。

 近隣の産業もほとんどが農業でした。

 一角久雄氏(一角昌博氏のお父さん)が、どうして、かつめのアイディアを思いつかれたのでしょうか。

     戦後、加古川町に人が集まる

 東播・北播では加古川町では比較的商店街も発達した地域でした。

 当時、工場として、日本毛織があり、町として賑わいがありました。

 少し余話を加えておきます。

 現在のプラザホテルのあるあたりは、日本毛織の広いグランドで、いろいろな催しも開かれていました。

 昭和31年には、ニッケグランドは第11回国体(国民体育大会)のハンドボールの会場となり、天皇も臨席されました。

 話を戻します。

    姫路・明石・神戸は空襲で大打撃

 姫路・明石・神戸等、近隣の町は空襲に会い、大きな被害受けたのですが、奇跡的に加古川は、ほとんど戦火を受けずに終戦を迎えました。

 従って、加古川にあった商店もほとんど無傷の状態で残りました。

 貧しい時代であったといえ、いきおい北は西脇、社、小野、三木など、東は南は別府、高砂等から人が加古川へ集まり、買い物等を楽しむようになりました。

    戦争で神戸牛の生産もストップ

 当然、買い物では食事も楽しみです。唐突ですが、肉のはなしをしましょう。

 戦前から神戸ビーフは有名でしたが、戦争のため生産がストップしてしまいました。

 加古川は、神戸に代わる肉の生産地となりました。

 志方と他ともう一か所、加古川が肉の生産拠点になりました。

 場所は、現在のシルバーセンター(加古川市加古川町河原)のある周辺です。

 ここに、加古川肉・買い物客(加古川町の賑わい)・食事が結びつきます。

 かつめしのぼんやりした原型です。(no3703)

 *内容は、いろは食堂二代目の一角昌博氏の報告を参考にさせて頂いています。

 *写真:平日の駅前通り(昭和30年撮影)、本文の時代と少し異なりますが、今では考えられないような人出がありました。

 ◇きのう(8/29)の散歩(11.461歩)

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加古川の味かつめし(14) 「かつめし」、昭和22年「いろは食堂」で誕生

2017-08-29 08:22:24 | 加古川の味、かつめし

   「かつめし」、昭和22年「いろは食堂」で誕生

 「かつめし・いろは食堂誕生説」を確かめるため、先日(824日)、「いろは食堂」におじゃましました。

 「いろは食堂」とは、なんとも昭和レトロを感じさせる名前です。

 でも、現在の「いろは食堂」は、モダンなレストランです。

 「うまいでぃ! 加古川かつめしの会」のWさんの紹介で、一緒にかつめしを食べながら、一角昌博さんのお話をお聞きしました。

 お伺いする前は、一角さんは80才を超えてられるとお聞きしていたので、話が聞けるかなと若干心配していたのですが、お会いするとそんな心配はまるで杞憂で、とってもそんなお年に見えない方です。

 内容は、話は次から次へと続きました。聡明な方です。

 お話を聞きながら、「かつめし」に対する情熱のようなものを感じます。

 なによりも、加古川発の「かつめし」を全国に広めていきたい情熱をひしひしと感じる内容でした。

 「かつめし」というと、話題はややもすると料理としての「かつめし」だけになりがちですが、かつめし誕生の時代、秘話(裏話)もいっぱいお聞きできそうです。

 楽しみです。

 「かつめし」は、昌博さんのお父さんが戦後間もない昭和22年に「いろは食堂」で始められたのが、嚆矢だそうです。

 昌博さんのお話を手掛かりにして、「かつめし」について紹介することにしましょう。(no3702

  *写真:いろは食堂2代目の一角昌博氏と私(8月24日、「いろは食堂」にて)

  ◇きのう(8/28)の散歩(10.872歩)

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コーヒーブレイク  「ひろかずのブログ」が3.700号に

2017-08-28 07:40:24 |  ・コーヒーブレイク・余話

     「ひろかずのブログ」が3.700号に

 70歳を過ぎたころ(現在74歳)から、腰痛に悩んでいました。

 このままでは、私の近い将来は、確実にやばい!

 そこで、ゆっくりと休みやすみの散歩を続けていました。

 そんな、おじいさんの散歩が3年ばかり続きました。

 今年の5月12日(金)のことでした。

 その日の散歩では、あまり腰痛を感じませんでした。

 そこで、翌日から万歩計をつけて、少しずつ散歩数を増やしました。

 不思議やふしぎ、腰痛はおきません。(やったー!)

 体に、何かが起きたようです。6月の中頃から無謀にも毎日10.000歩を日課としています。

 ゆっくりと歩いているせいか、やはり、腰痛は発生していません。

 7月になり腰痛がウソのようになりました。

 うれしくて、暑い日中でも歩いたりしています。

 おかげで「真っ黒」になりました。

      続けて、少しだけ無理をします

 でも、歳ですね。疲れるためか、読書がめっきり減りました。昼寝もします。

 でも、腰痛が減ったことの方の嬉しさの方が勝っています。

 6月以来、一日10.000歩が続いています。

 ブログの方も「散歩」の途中で見たこと、考えたことを中心に書いています。

 そして、計画していた「加古川の味、かつめし」は1~2年の計画(予定)で調べながら纏めてみようと思います。

 続けること、そして、そしてちょっとだけ無理をして生活をすると、いいこともあるようですね。

 きょうから3701号、もう少し続けますので、お付き合いください。(no3701

 *絵:散歩中の私(挿絵・Y

 ◇きのう(8/27)の散歩(10.487歩)

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加古川の味、かつめし(13) かつめし物語(その2)

2017-08-27 08:32:26 | 加古川の味、かつめし

   かつめし物語(その2)

 きょうは、前号の「かつめし物語(その1)」の続きです。

 今では、「かつめし」は、加古川市やその周辺の150の店舗で食べることができます。

 「美味しい、かつめし」を食べに出かけましょう。(no3700

 *絵:「かつめし物語」(加古川市観光協会)より

 ◇きのう(8/26)の散歩(10.439歩)

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加古川の味、かつめし(12) かつめし物語(その1)

2017-08-26 08:47:04 | 加古川の味、かつめし

 「加古川の味・かつめし」の紹介が進んでいません。

 今とりあえず、加古川市のHPや発行されている資料を集めています。

 今回は、加古川市観光協会発行の「かつめし物語」を2回に分けて紹介します。

 きょうは「その1」です。(no3699)

     かつめし物語(その1)

  *絵:「かつめし物語」(加古川市観光協会)より

  

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四季の草花(7) オシロイバナ:Four o'clock

2017-08-25 07:03:41 | 四季の草花

         オシロイバナ

 オシロイバナは園芸種でしょうか、それとも雑草の仲間でしょうか。

 園芸種にしては、たくましい生命力を持っています。

 自宅の前にもこんもりとオシロイバナが咲いています。

 いい香りを放っています。

 水をやったり、肥料をやったことはありません。

 でも、毎年見事な花をつけています。その勢力範囲も広げています。

 散歩の途中でも、よく見かけます。

      英語ではFour o'clock

 オシロイバナの説明をウィキペディアでは、次のようにあります。

 ・・・全体にみずみずしい緑

 花は赤、黄色、白や絞り模様(同じ株で複数の色のものもある)などで、内、白と黄の絞りは少ない。

 花は夕方開き、芳香がある。

 このため和名としてユウゲショウ(夕化粧)とも呼ばれる。

 

 高校時代の同窓生(女性)のブログを読んでいました。彼女は、現在自宅で英語を教えておられます。

 花も好きでブログではよくは、花について投稿されています。

 あるとき、オシロイバナの英語名について投稿されていました。

 「Four o’clockといい、夕方から花が開く・・・」と。

 以来、この花を見るとFour o’clockの単語が浮かびます。

 そういえば、昼間は花弁を閉じています。

 ブログのオシロイバナは、22日の午後7時ごろに撮りました。

 Four o’clockは、機械的な呼称で、私はオシロイバナの方が好きですが、夕方の涼しい風を感じますね。(no3698)

 *写真:自宅前のオシロイバナ

 ◇きのう(8/24)の散歩(10.344歩)

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私の散歩  松本清張、『Dの複合』で、天下原の羽衣伝説を紹介

2017-08-24 08:33:42 |  ・コーヒーブレイク・余話

 

 「散歩について」のある本では、「ゆっくりした散歩と、一週間に1~2回の少しきつめの運動が必要である・・・」と書いています。

 22日(火)、平荘湖の入口にある ウェルネス・パークから500mほど、まっすぐに行くと毘沙門堂があり、そこの階段を上ることにしました。

 かなり急な石段です。登ったところにある毘沙門堂には羽衣伝説があります。

     松本清張、小説『Dの複合』で、

          天下原の羽衣伝説を紹介

 ここ(東神吉町)天ヶ原(あまがはら)の呼称は、ここに羽衣が舞い降りたという伝説から名づけられています。

 松本清張は、小説「Dの複合」で、少しだけ天ヶ原ついて少し書いています。

 

 ・・・・余裕があれば加古川まで引っ返して、羽衣の伝説地を見たいのです。「へえ、加古川にも羽衣伝説がある?」伊勢はビックリした。「少し北に行ったところに、印南郡神吉村(加古川市東神吉町)というのがあって、そこに天ヶ原(天下原)という土地があり、羽衣伝説が遺っているそうです・・・・。

 清張は、もう少し天ヶ原について続けているが、省略します。

 ともかく、天ヶ原に関しての詳しい記述ではありません。これらの文章から判断すると、清張は加古川に寄っていないのでしょう。

 上記の記述の前のところで、「・・・(姫路から汽車で)加古川の町を通り抜け、右側の方に淡路見え隠れしているうちに明石に入り、着いたところが海岸に面した、人丸花壇という旅館だった・・・」とも書いています。

 小説『Dの複合』の取材では、加古川へ寄ったとは言えませんが、彼の小説に『火の路(ひのみち)』があります。

 ここでは「石の宝殿」について詳述しています。

 現地の調査なくしては書けない記述です。

 『Dの複合』や『火の路』の取材で、天ヶ原のことを知ったのでしょう。

 ウェルネス・パークへ行ったついでに、毘沙門堂によって、羽衣伝説を思い出すのも一興ですよ。(no3697

 *写真:天下原、毘沙門堂の羽衣の絵馬

 ◇きのう(8/23)の散歩(11.286歩)

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四季の草花(6) 平荘湖の白いユリ

2017-08-23 10:13:02 | 四季の草花

 太宰治は「富士には月見草がよくにあう・・・」といっていますが、富士山を借景にすると、どんな物でも似合いますよ。

 富士は、そんな山です。

 歩きながら「ふと」太宰治の文章が浮かびました。

   平荘湖には白いユリがよくにあう

 いま、平荘湖の遊歩道ではで白いユリの花が見事に咲いています。

 自宅でも同じ種類のユリが咲いていますが、ビオトープ状態の我が家のユリはあまりきれいとは思いません。

 でも、富士山を借景にした月見草ほどではないでしょうが、平荘湖の湖面を借景にした白いユリは絵になります。

 期間限定の風景ですので是非、お出かけください。

 平荘湖にはユリがよくにあうようです。

 写真の場所は、第三堰堤を東へ100㍍ほど行ったところです。

 さいわい、自動車が禁止されている散歩道ですので、歩く方のみが鑑賞できる花園です。

    提案です

 どこの都市でも新しい観光地をつくろうと一生懸命です。でも、そのためにはアイディアと場所と費用がかかります。

 平荘湖の周辺にユリの種を蒔いておきませんか。その種は、ことし咲いている種を集めて蒔くだけでいいんです。

 きっと来年には、よりみごとな花園が誕生すると思います。

 その時、新聞は「平荘湖には白いユリがよく似合う」と大きく報道しますよ。

 そして、散歩する人も増えるでしょうね・・・

 歩きながらそんなことを考えました。(no3696

 *写真:ユリの花(平荘湖第三堰堤の東100㍍:22日撮影)

 ◇きのう(8/22)の散歩(10.943歩)

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四季の草花(5) カラスウリ

2017-08-22 07:41:22 | 四季の草花

    

  

    カラスウリ

 童謡「真っ赤な秋」の歌詞の2番を紹介しておきます。


  まっかだな まっかだな
  からすうりって まっかだな
  とんぼのせなかも まっかだな
  夕焼雲(ゆうやけぐも)を ゆびさして
  まっかなほっぺたの 君と僕
  まっかな 秋に よびかけて いる

 

 カラスウリが登場しています。

 今の小学生に、カラスウリといっても知らないと思います。

 山で遊ばないし、遊んでも最近カラスウリを見つけることはほとんどなくなりました。

 カラスウリの実は秋の草が枯れるころ、赤い実が印象的です。

 最近は、珍しくなったカラスウリですが、なんと新幹線下のネットにびっしり咲いているんです。

 もっとも、今は緑の実です。

 その代わり、カラスウリの花も見ることができます。

 不思議なフリルを持ったような不思議な花です。

 散歩では、こんな町場では珍しくなった植物を見つけることがあります。

 秋が楽しみです。私の秘密の場所です。(no3695)

 *写真上:カラスウリの実(まだ緑です)

   同下: カラスウリの花 

 ◇きのう(8/21)の散(13.882歩)

 

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私の散歩 権現ダムを歩く

2017-08-21 07:02:05 |  ・コーヒーブレイク・余話

 

      権現ダムの散歩

 平荘湖と権現ダム周辺をよく散歩します。

 この二つの貯水ダムの周囲を歩くことが好きなんです。

 どちらを選択するかは、その日の気分です。

 コースの違いは、平荘湖の方は周囲を一周できますが、権現ダムの方は西側の山裾に沿ってのコースだけです。

 一番の違いは、権現ダムの方は散歩しておられる人がほとんどないことです。

 そして道は、ダムの西の山裾に沿って志方町の野尻に通じています。そのため時々車が通り抜けます。

 湖畔の西が山になっているため、夕暮れが早くなります。

 そのためか、夕方の女性の散歩は、ほとんど見かけません。

 でも、権現ダムの散歩は好きですね。

 権現ダムの散歩をしていると得をしたような気分になれます。

 風の音と虫の声と水の風景を背にした散歩になります。

 ですから、どんな変なパホーマンスをしようと恥ずかしくありません。

 散歩ですから腕を大きくふって散歩ができます。

 平荘湖の場合はそうはいきません。

 70半ばのおじいさんでも腕を大げさに振って歩くことは少し恥ずかしいものです。

 でも、権現ダムの場合は平気です。

 さすがに歌いませんが、歌でも歌いながら散歩ができそうです。

 一度権現ダムの周辺もお歩きください。

 ツクツクボウシも鳴き始めています。

 秋はもうすぐです。(no3694

 *絵:YとS 

 ◇きのう(8/21)の散歩(11.467歩)

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余話 日本最古のオリーブの古木が加古川に(2)

2017-08-20 07:30:01 |  ・コーヒーブレイク・余話

   日本最古のオリーブの古木(2)

       宝蔵寺(別府町)のオリーブ

 明治11年の秋、神戸にオリーブ園が誕生しました。場所は神戸市生田区山本通というから、現在の県庁の北側に当たる場所です。

 このオリーブ園の経営に当たったのは、若手官僚・前田正名(まえだまさな)でした。

 明治10年代の日本は、陸海軍の創設、工業の育成におわれ、国庫は底をついていました。

 解決策は増税の他にありません。

 この影響を直接に受けたのが農民でした。重税に苦しんだ多くの農民は田畑を手放さざるをえませんでした。

 こんな日本の農業の状況を憂い、立て直そうとした政府の役人がいました。

 前田正名です。ここでは彼の活動は省きますが、もっと評価されるべき人物です。

 明治19年、彼は一時官を去り神戸に移り住みました。

 神戸オリーブ園と播州ぶどう園(稲美町)のたて直しのための来神のようでした。

 2年後、前田は山梨県知事に就任しますが、神戸での2年間に、多木久米次郎との出会いがあったようです。

 久米次郎は、オリーブの苗を譲り受け、別府(加古川市別府町)の宝蔵寺に植えました。

 現在、神戸オリーブ園のオリーブの木は残っていません。宝蔵寺の2本のオリーブと前号で紹介した湊川神社のオリーブは日本最古のオリーブの木です。

 加古川市に残る2本のオリーブは、小豆島で最初に植えられたオリーブより20年もさかのぼります。(no3693)

 *写真:宝蔵寺に残る日本のオリーブ。(8/18撮影)

 ◇きのうの散歩(8/19)散歩(11.204歩)

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余話 日本最古のオリーブの古木が加古川に(1)

2017-08-19 07:45:13 |  ・コーヒーブレイク・余話

 

    日本最古のオリーブの古木が

          加古川にあった(1)

 きのう(8月18日)の神戸新聞朝刊の25面に、「140歳オリープを救え」として、神戸・湊川神社のオリーブの古木が大きく報道されています。

 このオリーブは、記事にもあるように神戸にあった日本初の官営オリーブ園から湊川神社へ移植された日本最古のオリーブの木です。

 実は、湊川神社へ移植されたと同時に加古川へも移植されています。

 という言うことは、日本最古のオリーブが加古川市でも育っているということです。

 余話として紹介しましょう。

 きょうは、神戸新聞の記事のリードの部分の紹介だけになりますが詳細は新聞をお読みください。

 加古川市のオリーブの古木については次回の「ひろかずのブログ」で報告することにします。

   140歳のオリーブを救え(神戸新聞転載)

 樹齢140年ほどとされる神戸湊川神社のオリーブの古木が天敵「オリーブアナアキゾウムシ」による深刻な被害を受け、樹木医らによる懸命の治療が施されている。

 神戸では明治初期、国の殖産興業政策の一環で日本初の官営オリーブ園が開かれ、古木はその生き残りと伝わる。

 治療のかいあって樹勢は回復の兆しを見せており、関係者は「神戸の歴史を物語る商人として何とか残したい」と注意深く見守っている。(小林良多) (no3692

 *神戸新聞(8/18)の記事、写真とも神戸新聞参照

 ◇きのう(8/18)の散歩(12.477歩)

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加古川の味、かつめし(11) Aさん宅のカツメシのレシピ 

2017-08-18 08:21:31 | 加古川の味、かつめし

  

  美味しい、カツメシをつくろう

    材料 

 牛薄切り肉  パン粉  小麦粉  卵          

 デミグラスソース  ウースターソース  ケチャップ  バター 

 キャベツ  ご飯                            

    Aさん宅のカツメシのレシピ 

 1  キャベツは2㌢四方位に切り、茹でて水気をきっておく!

 2  鍋にデミグラスソースにケチャップ・ウースターソース・バターを入れ温める!

 3  牛薄切り肉は、1枚ずつ広げて重ねてカツの形にする!肉の厚さは、分厚くなくて良いですよ!

 4 【3】に塩・胡椒・小麦粉・卵・パン粉を付けカラッと油であげ、しっかり油をきっておく!

 5  お皿にご飯を盛り切った牛カツを乗せキャベツを添えて【2】のデミソースをタップリかけて出来上がり

   コツ・ポイント

 キャベツをカレ−風味にしても美味しい!水800㏄にカレー粉大1を入れ茹でる!

 キャベツが柔らかくなれば火を止め1時間放置!ピリッとしてますよ安くするために薄切り肉ですがステーキ肉でもOK!

 かつめしの出来上がり。(no3691)

 *インターネットより

 *写真:美味しい「かつめし」(写真はお店のカツメシです)

 ◇きのう(9/17)の散歩(12.294歩)

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加古川の味、かつめし(10) 余話:ギュッとめし

2017-08-17 08:58:25 | 加古川の味、かつめし

 「カツメシ」の紹介をしていますが、新しく加古川市に新しい名物「ギュッとメシ」が誕生しました。

 8月11日の神戸新聞は「ギュッとメシ」を取り上げました。紹介しておきます。

 蛇足ですが、「ギュッとメシ」は「牛とめし」をコラボレーションしたという意味です。

 すき焼き丼にピラフ・・・

     ギュッとメシ提供店ふえた

 兵庫県加古川市の新たなご当地グルメ「加古川ギュッとメシ」を提供する店舗が4店増え、同市内で計13店に拡大した。みそベースのたれに漬け込んだ牛肉を使うことが決まりの料理で、新たにピラフやすき焼き丼なども加わり、食べ比べをより楽しめるようになった。

 新たに加わった日本酒バル「馬馬家」(加古川町寺家町)の「ギュッと味噌すき丼」(1620円)は、牛肉を煮込んですき焼きにし、ご飯にのせた丼。根本健一店長は「肉は(地元で作られた)『高松味噌』に一晩漬け込む。みそ味のすき焼きは珍しく、喜んでもらえるはず」と語った。

 ポレポレカフェ(加古川町友沢)の「牛すじギュッとピラフ」(950円)は、志方牛のすじ肉を使ったピラフ。しのべクラブ(別府町新野辺)の「牛っと彩り丼」(500円)は、ご飯に牛肉や錦糸卵、刻みノリをのせた三色丼。加古川プラザホテル・リヴィエール(加古川町溝之口)の「ギュッとライス 辛味噌マヨネーズ添え」(1080円)は、炒めた牛肉をご飯にのせ、韓国の調味料などから作る特製たれを掛けた。

 これまでの9店ではステーキや焼き肉のほか、釜飯、巻きずしなど多彩なメニューを提供している。

 新たな4店は予約不要で数量限定なし。営業時間などの詳しい情報は、インターネットの専用ページに後日、掲載予定。「加古川ギュッとメシ」で検索できる。(切貫滋巨)

 【加古川ギュッとメシ】食による観光振興を目指し、加古川市などがかつめしに続くご当地グルメとして研究し、2月に完成。みそベースのたれに漬け込んだ牛肉を使い、各店舗が独自のメニューを作り上げた。「地元愛やおもてなしの心をギュッ(牛)と詰めた」との思いから名付けられた。(no3690)

 *写真:馬馬屋の「ギュッと味噌すき丼」(神戸新聞の他の写真ははぶかせていただきました)

 *昨日(8/16)の散歩(13.016歩)

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