高砂市を歩く(178)で、石工・仲右衛門(現:高砂市阿弥陀町生石の人)と天川橋を次のように紹介しました。(「高砂市を歩く・178」と合わせてご覧ください)
仲右衛門(パート2) 天川橋は残った
「・・・石工・仲右衛門は、江戸時代末に活躍した石工の一人で、巨大な石材の細工を得意としたといいます。天川橋(姫路市御着)も彼(石工・仲右衛門)の作品として知られています。
6日(月)の午後、天川橋の写真を撮りに出かけました。でも、現在の天川橋には、仲右衛門の影がありません。
新しいコンクリートの特徴のない橋に変わっていました。ここでも歴史が一つ消えています。・・・」と。
翌日、二重丸さんから「天川橋は、御着城跡に保存され、HPにも詳しく紹介されている・・・」と、ご連絡を頂きました。
11日(土)、さっそくカメラを持ち撮影に出かけました。以下は、その時の写真とHPの写真および、姫路市教育委員会の説明です。
「・・・姫路藩が文政十一年(1828)に、この地(御着城跡)より南西200mの旧西国街道の天川に架橋した。総竜山石製の太鼓橋、全長26.6m、幅4.4m、高さ約5mで橋脚5本。
印南郡石工、瀬肋・仲右衛門の作。姫路藩儒者近藤顧一郎撰の銘文が刻まれてある。
橋の東北詰めには高札場があった。
昭和47年(1972)9月9日の出水で中央部橋脚が崩れ橋桁が落下したため撤去し、昭和53年(1978)10月、現在地に移設保存した。
高さは地形に合わせて低くしてある。地形中央部の低いところは御者城の濠跡。
平成13年2月 姫路市教育委員会」(no2761)
*写真上:建設者(仲右衛門)の銘のある欄干、中:ありし日の天川橋、下:保存されている天川橋