今福の記述のある石清水八幡宮の文書(もんじょ)は、当時の地方のようすがわかる貴重な史料であり、『兵庫県史』でも紹介しています。
『兵庫県史』では、さらに建久元年十二月、八幡宮の願いがかなえられたことも記述しています。
建久元年は1190年のことです。
鎌倉幕府の成立は1192年です。
今福の記述のある石清水八幡宮の文書の承安元年(1171)、建久元年(1190)は鎌倉幕府の始まる直前です。
もっとも、記録にある平安時代の末期に今福の集落が誕生したのではありません。
当然、それよりも以前に集落は存在していたはずです。
とするといつの頃でしょう。
今福には、奈良時代の条里制の跡もあります。おそらくは奈良時代には既に、この地に集落ができていたのでしょう。
でも、今福と言う名称ではなかったと思います。
また、「今福弥生遺跡」でみたように、今福には弥生時代にすでに人々が住んでいたことが確かめられています。
弥生時代、古墳時代、奈良時代、そして平安時代を通じてずっと今福の地には集落があったと考えられます。
ただ、その地を「今福」と命名されたのは平安時代のようです。
「今福八幡社の祭神」(今福探訪・5)で、「今福八幡社(写真)と石清水八幡宮は、どんな関係があったのでしょう」と書いておきました。
もうお分かりだと思います。
「今福八幡社」は、京都の石清水八幡宮の荘園であり、今福が荘園になったとき、石清水八幡宮の祭神を勧請したのでしょう。
*以下、今福誕生①・②の要点を英語にしておきました。
Imafuku-Sho (A Medieval Manor in Imafuku Village)
In the Heian period, aristocrats, temples and shrines in Kyoto expanded their private lands.
In the Heian period, private lands belonging to the Todai-ji temple in Nara were located in the Kakogawa district.
We want to discuss the private land in Imafuku.
Imafuku Hachimangu Shrine is located to the east of the Sanyo Onoeno-Matsu Station and enshrines the same deities as those in Iwashimizu Hachimangu shrine in Kyoto.
There was an old document in the shrine, written in 1171 which has the following description.
“The government officials managing the Kakogawa district are failing to collect taxes from the private lands of Iwahsimizu Hachimangu shrine”. It expresses the situation of the time well.
That is, the power of the central court was becoming weak and that of local clans was increasing.
(A history of Kakogawa City Ed. by Hirokazu Iinuma)