いま 加古川市の中世が、おもしろいのですが!
「文観は加古川に生まれた」ということを紹介したいために、山川均論文「東播磨の中世石塔と文観」をお借りして紹介しました。
でも、残念な現象が見られました。
「ひろかずのブログ」は、ここしばらくは、一日2000ほどのアクセスが続いていたのでしたが、文観を紹介するようになってアクセスが1000ぐらいに徐々に減ってしまいました。
その原因は、もちろん私の文章のまずさ、わかりにくさ等があったと思いますが、何よりも「一般的に文観・後醍醐天皇、そして南北朝時代について、信長・家康のように予備知識がなく、したがって興味をお持ちの方が少ない」ということではないかと想像されるのです。
教科書にもあまり登場しませんでした。
『太平記』等を読んでも、人物が入り乱れて頭は混乱するばかりです。
でも、南北朝時代は、日本の分水嶺(時代を二分した)の時代です。
これからも、文観を通して加古川の中世の探検に出かけましょう。
中途半端におわりますが、今、加古川市の中世の歴史がおもしろくなってきています。
後醍醐天皇・文観について『異形の王権(網野善彦著)(平凡社の文庫本)を読み返しています。
*『異形の王権』には、文観・後醍醐天皇は登場しますが加古川との関係の記述はありません。
次回から「大庄屋・大歳家のはなし」です
次のブログから、新しい話題に移ります。次の話題は、加古川市別府町新野辺にある、「江戸時代の大庄屋・大歳家」のはなしを計画しています。
この話も、「興味を持って読んでいただけなくなるのでは」と心配しています。
でも、大歳家は現在すごく傷んで修理が必要になっています。
このまま放置すると貴重な加古川市の文化財が消滅してしまいます。
そのことを皆さんに訴えたいために書くつもりです。
引き続きお読みください。(no3536)
今、加古川市の中世の歴史がおもしろくなってきています。
*写真:伊派の層塔のある福田寺(春の中の福田寺)、福田寺については「東播磨の石塔と文観(12)」をお読みください。