上部用水と「あさがら池」(2)
「高砂を歩く(188)・魚橋山狭」の復習です。
・・・地蔵山の北で山塊はいったん切れ、約200メートルのほどの低地となっています。そして、その北に魚橋集落にそって魚橋山が立ちはだかります。
古代から播磨平野の南部(中心部)を行くには、この魚橋山狭を通過しなければなりません。この山狭部に山陽道が走りました。
山陽道は、江戸時代に脇街道・西国街道となりましたが、日本の最も大切な道としての役割は続きます。
明治時代に至り、魚橋山狭にJRが建設されました。さらに、新しく国道二号線が建設されました。
さらに、さらに現在は、姫路バイパスがはしり、高砂西ランプが設けられました・・・」
水は魚橋山狭を流れる
この魚橋山狭は、東西を結ぶ重要な交通路としての役割だけではありません。
魚橋集落の西の端に「海老山」(写真)という小さな山塊があります。この海老山には次のような伝承があります。
・・・昔、加古川が氾濫すると、この海老山の麓まで川の水が流れてきて、そのたびに多くの海老(えび)がはねていたので、このような山名が付けられた・・・
つまり、加古川の氾濫した時などは、水は魚橋山狭を通過して「あさがら池」の地にまで押し寄せたようです。
上部用水は、魚橋山狭の少し低いところを流れています。
集落は、魚橋山の麓の少し高いところに、へばりくように東西に繋がっています。
サイフォンで
なお、魚橋集落と神爪集落(高砂市米田町)の間に法華山谷川が流れています。
東の神爪の方から流れてきた上部用水は法華山谷川にぶつかります。上部用水はこの所で法華山谷川の下に潜り込んでいます。
サイフォンの技術が使われています。(no2767)
*写真:海老山(魚橋西の歩道橋から撮影・写真の右の道が旧西国街道)