肥 料 主
全国には、「**王」といわれる人は、たくさんおられます。
謙虚さを尊ぶわが国では、これらの人々は、他人がそう呼んだのであり、自ら「**王」と名乗ったのではありません。
例外が加古川市にありました。多木久米次郎です。
山陽電車の別府駅(加古川市別府町)の西の道を南にまっすぐに下り、別府川を渡って500mほど行けば港に出ます。
その手前に多木浜洋館(あかがね御殿)があります。
あかがね御殿の横に「肥料主」と刻んだ石碑があります。
戦前は、この石碑に堂々とした多木久米次郎の像がのっていました。
もともとは、久米次郎は自分の像に「肥料王」と刻んでいました。
時代は戦前です。
天皇の時代に、いくらなんでも「マズカロウ」との声が上がりました。
そこで、久米次郎は「王」の上に「チョン」を付けてごまかしたのです。
姑息なことを思いついたものです。
以前、加古川市別府町の探訪で、この話を紹介しました。
「加古川検定」にも出題された話題です。
玉垣に刻まれた「肥料主」
生石神社を訪ねた時、玉垣に「肥料主」(写真)の文字をみつけました。
浮き石への入り口を左に行き、浮き石を巡る最初の玉垣です。
彼は、よほど「肥料王(主)」にこだわっていたようで、他のある場所の玉垣に「肥料王」の文字が残っていました。(no2758)
*写真:玉垣に残る「肥料主」の文字(生石神社)