ひろかずのブログ

加古川市・高砂市・播磨町・稲美町地域の歴史探訪。
かつて、「加印地域」と呼ばれ、一つの文化圏・経済圏であった。

高砂市を歩く(181) 肥料主

2015-04-10 09:18:03 |  ・高砂市阿弥陀町

     肥 料 主

 全国には、「**王」といわれる人は、たくさんおられます。

 謙虚さを尊ぶわが国では、これらの人々は、他人がそう呼んだのであり、自ら「**王」と名乗ったのではありません。

 例外が加古川市にありました。多木久米次郎です。

 山陽電車の別府駅(加古川市別府町)の西の道を南にまっすぐに下り、別府川を渡って500mほど行けば港に出ます。

 その手前に多木浜洋館(あかがね御殿)があります。

 あかがね御殿の横に「肥料主」と刻んだ石碑があります。

 戦前は、この石碑に堂々とした多木久米次郎の像がのっていました。

 もともとは、久米次郎は自分の像に「肥料王」と刻んでいました。

 時代は戦前です。

 天皇の時代に、いくらなんでも「マズカロウ」との声が上がりました。

 そこで、久米次郎は「王」の上に「チョン」を付けてごまかしたのです。

 姑息なことを思いついたものです。

 以前、加古川市別府町の探訪で、この話を紹介しました。

 「加古川検定」にも出題された話題です。

   玉垣に刻まれた「肥料主」 

 生石神社を訪ねた時、玉垣に「肥料主」(写真)の文字をみつけました。

 浮き石への入り口を左に行き、浮き石を巡る最初の玉垣です。

 彼は、よほど「肥料王(主)」にこだわっていたようで、他のある場所の玉垣に「肥料王」の文字が残っていました。(no2758)

 *写真:玉垣に残る「肥料主」の文字(生石神社)

コメント
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