松 前
(嘉兵衛の船は松前を目指している)
松前藩が、北海道という広大な地を支配しながら、山ばかりの松前半島の南端の福山(松前のこと)の地を根拠地としているのは、蝦夷に対する自信のなさのあらわれといっていい。
(なぜ、松前様はこんなところにいるのか)
と、暗くなりつつある沖から福山城下の背後の山々を見ながら、嘉兵衛はおもった。
すでに、嘉兵衛は、「箱(函)館(以後、箱館とする)」 という土地があることをきいていた。
道南のほぼ中央に位置し、大湾にかこまれ、港としてもわるくない。
それに、箱館の背後には亀田平野という広大な平野があり、もしそこで城下町を営めば野菜の供給にも事欠かない。
松前藩は、アイヌからの襲撃をおそれていた
しかし、野が広大なだけに、もし蝦夷が押しよせた場合、防禦がしにくかろうという規準になると、まったく問題がべつになる。
福山の地ならば、往来の山路はわずかしかなく、小人数でそれらをおさえておくだけで、安全が得られるのである。
それにかなわぬときは津軽半島へ逃げてゆくのに、もっとも便利であった。
福山は山がせまり、城下町の形成には窮屈な上に、わずかな平野があるだけで、まことに不自由ったらしい。
それでもなおここに藩が固執しているのは、蝦夷地統治の自信のなさの象徴といってよかった。
「福山」とは、この藩が、その城下をかりに名づけているだけの地名で、本来の地名ではない。
対岸の津軽衆も嘉兵衛たち船乗りも、「松前」と、この町をその地域名でよんでいる。以下、町の名も、松前城下とよぶ。(以上、『菜の花の沖』より抜粋)
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松前藩は、アイヌに苛烈な支配を続けている。当然「反抗があるかもしれない」と考える。
守備は十分でない。
そのため、松前藩は守りやすいという一点だけで、松前を城下にしているのである。